雨宿りの瞑想
08年03月11日
No.734
国会議員だったころには、何だかんだと海外に出張することが多かった。本当に仕事が中心の旅行もあったし、本音は休養というものもあった。当時はまだ若かったので、仕事が中心の旅行でも寸暇を惜しんで海外事情を吸収しようとした。それは楽しかったし、無駄ではなかった。そのとき、いつも大使館などの在外公館がフォローしてくれた。今回そういうものは何もない。
私はそういうものをあまり気にしない。到着から出発するまでびっしりと大使館の館員にフォローされるというのは有難いことではあるが、窮屈に感じられるときもある。だから私はホテルに帰って“今日はもう休みます”といって館員には帰ってもらい、それから一人で出かけたことが何度もある。イギリス・ロンドンのソホー地区でがっぽりとふんだくられたことはある。モスクワではスリにやられたこともある。しかし、身の危険を覚えたことなどない。あまり立派な服装をして出かけないことが秘訣である。
昨日は王宮に行った。前に来たときにも訪ねたと思うが、やはり行ってみることにした。改めて観るとすごい王宮である。正午ころ雨がぱらついてきた。“これは降るなぁー”と思ったので、エメラルト仏が安置されている本堂で雨宿りすることにした。少し瞑想に耽っているとかなりの雨となった。東南アジアの雨(スコール)は激しく降って直ぐ止むと思っていたので、瞑想に耽りながら雨が止むのを待ったが、なかなか止まない。2時間ほど待ったのだが、雨は完全には止まなかった。少しぱらついてはいたが、瞑想は切りあげて(?)外に出ることにした。
何だかんだで2時間以上も本堂にいた。お付きの人がいるとこういうことはできない。瞑想に耽っている(?)私の脇を、多くのタイの人たちが参拝しては通り過ぎる。まず花を手向け、頭を3回床につけて平伏し、それから両手を合わせて祈念する。普通の日本人の参拝より丁重である。3歳くらいの小さな坊やがそのような礼拝をしなかったので、お父さんが腕で頭を床に押し付けて拝ませていた。雨宿りに託(かこつけ)けた不謹慎な瞑想だが、これはこれで貴重な体験であった。
まだ雨が少し降っていたので、王宮のすぐ前に止まっていた三輪車のタクシーを拾って食事に行った。東南アジア最大のチャイナタウンがあるというので、そこに行って中華料理を食べたかったのだが、タクシーの運転手が月曜日は休みで食べれないという。そんなことはないと思うのだが、どうも話が思うように通じない。そのタクシー運転手ご推奨のシーフードレストランに行くことにした。まぁ、それなりのシーフードレストランだった。店においてあったマンゴーを食べた。さすがに美味しかった。今回の滞在中デザートはマンゴーにしよう。
移動がけっこう大変である。タクシーはいくらでもあるのだが、言葉がなかなか通じない。私のホテルはそんなに有名なホテルではないらしく、ホテル名をいっただけでは行ってくれない。昨日は運転手が分かったといったので安心して乗っていたところ、着いたのは同名の違うホテルであった。そのホテルの人が出てきてくれてタクシーを拾おうとするのだが、方向が悪いらしくなかなか乗せてくれない。渋滞に巻き込まれると大変らしく、日本風にいえば“乗車拒否”されるのである。若い運転手が乗せてくれたので、無事に帰ってこれた。かなり走ったのだが、料金は95バーツ(300円)だった。私は感謝の意を込めて200バーツ(600円)払った。
円高が進んでいるようだ。昔は旅行していると敏感に円高のご利益(りやく)を感じたものだが、今回タイではあまり感じられない。円はドルとリンクしているので、そうなのだろう。アメリカとの関係を良くさえしておけばよいという時代は明らかに終わった。日本には日本として価値がなければならない。これまで日本が得意としてきたこと、日本の素晴らしいところが急速に失われている。根拠のない楽観論や軽薄な尊大意識を自公“合体”政権は強調している。その面からも自公“合体”体制に日本を任せておく訳にはいかない。
それでは、また。