大阪市長選余話
07年11月19日
No.618
昨日投開票された大阪市長選で、民主党・国民新党推薦・社民党支持の平松邦夫氏(59)が当選した。自民党・公明党推薦の現職関淳一氏が落選した。投票率は、43.61%で前回の33.92%を9.69ポイント上回った。私はこの市長選についてあまり興味をもっていた訳ではないが、若干の感想を述べる。
大阪市長選は福田政権発足後初の大型選挙。自民、公明両党が推す関氏と民主党が擁立した平松氏の事実上の一騎打ちとなった。自公対民主の対決構図になったことで、各党は「総選挙の前哨戦」と位置づけ、連日、党幹部を投入、国政選挙並みの態勢で臨んだ。
平松氏は長年にわたって助役出身者らが市長を務めてきたことが職員厚遇問題などの温床になったとして「民間から市長を」と訴え、徹底した市政の情報公開を主張。一方で数値目標を掲げて職員削減や歳出削減を進めた関氏の手法を「希望を持てない」と批判し、市役所の職員労組との対話姿勢も打ち出した。
asahi.comからの引用である。大阪市長選が「総選挙の前哨戦」とは思わないが、当事者たちがそのように位置づければ、それは立派な“前哨戦”となる。自公“合体”政権にとっては手痛い敗北であろう。この選挙の告示日には、小沢騒動が始まり、国松陣営には大変な混乱があったと推察される。自民党・公明党は嵩にかかって攻撃をしたであろう。そうした中で、民主党・国民新党・社民党支持の平松候補が当選したことは立派である。私が大連立騒動に関する民主党批判の“潮目”は変わってきたと書いたのは11月11日であった(永田町徒然草No.610参照)。
小沢批判、民主党批判一色の中で、“潮目は変わってきた”と書くことはそれなりの勇気がいる。永田町徒然草は、単なる「政治評論」ではない。私は、私の論評を通じて政治に積極的に関与していこうとしている。だから“潮目を変える”ために、“潮目は変わってきた”と発言するのである。しかし、当てずっぽうに根拠のないことをいつも書いていたのでは、私の論評自体の信用性がなくなる。そうなっては、私の論評の影響力は失われ、私の目的は果たせなくなる。この按配加減が難しい。永田町徒然草の論評は、このようになかなかの“食わせもの”なのである(笑)。賢明な読者は、その辺の微妙なところを見抜きながら読んでほしい……。
自公“合体”体制にとって、今回の敗北は特別の意味をもっている。私は平成8年の総選挙のとき、大阪府の19小選挙区すべてに自民党候補者を擁立しなければならなかった。これは大変なことであった。大阪府は、自民党の勢力が著しく弱いところであった。何人かの現職議員もいたが、かなりの新人を擁立しなければ19の小選挙区を埋めることはとてもできなかった。もちろん相手は新進党であった。新進党に参加した各政党や候補者の平成5年の得票数を合計すると、自民党の得票数の3倍近くあった。とても自民党候補が勝てるという情勢ではなかった。
それでもすべての小選挙区に公認候補もしくは推薦候補を擁立することは、私の基本方針だった。自民党大阪府連の幹部と相談しながら新人候補の擁立に奔走した。その中で大阪独特の政治に対する考え方・選挙に対する気構えに私は驚かされるくことが多かった。政治や選挙に対する考え方は、各地で異なることはいうまでもない。しかし、大阪のそれは、とにかく特別なのである。ある人が「大阪には、政界・財界・労働界の他に漫才界がある」といった。確かに参議院大阪府選挙区(かつては大阪地方区といった)では、この漫才界出身の候補者が3議席のうち1議席を上位で必ずとっていた。漫才界出身の大阪府知事も誕生した。
とにもかくも自民党は19選挙区すべてに候補者を擁立したが、小選挙区で当選したのはわずか3人だった。3勝16敗であった。いまも元気でマスコミに登場している“塩爺”こと塩川正十郎氏は、当時自民党の総務会長であったが落選の憂き目にあった。このように自民党が弱かったのは、新進党のど真ん中にいた公明党が大阪府では非常に強かったからである。大阪府は、選挙軍団・池田創価学会にとって特別の地なのだそうだ。池田大作創価学会名誉会長が若かりし頃、参議院大阪府地方区の選挙指揮を執り、選挙違反容疑(彼らはこれを法難という)に問われたことがあったからだ。
公明党との連立により大阪府自民党は選挙でも勝てるようになった。大阪府自民党にとっては、創価学会・公明党“さまさま”なのである。地方選挙も自民党・公明党が合体してこれまで順調に勝ってきた。用心棒は、強いからこそ“さまさま”と敬われるのである。選挙ではもっとも強いといわれている二期目の現職を担ぎながら、共産党が独自候補を立てたにもかかわらず自民党・公明党推薦候補を落としたのでは、公明党の“威光”にかかわるのである。ここでも創価学会・公明党の退潮が窺われるのである。創価学会・公明党の聖地におけるこの退潮がもっている意味は大きい。
テレビで見る限りだが、伊吹文明自民党幹事長や大島理森自民党国対委員長がいろいろと喚(わめ)いている。彼らは現在の政治状況を、またこれを国民がどのように受けとめているのか、まったく分かっていないようである。自民党の“威光”がまだあると考えているようである。過去の“威光”にすがる者は、現実を動かすことはできない。現実を動かすのは、現在の“威光”なのである。政治家の“威光”は、もちろんバッチなどではない。また肩書きなどでもない。政治家の“威光”は、その威厳のある言動から産まれるものである。威厳のある言動は、私心を捨て国家国民のために命懸けの行動をする者だけがもっている一種独特の政治力なのである。凡庸な政治家には、無理である。
それでは、また明日。