バチが当たるぞ!?
07年08月14日
No.518
“バチが当たるぞ!?”とは、参議院選挙で大負けたのに「私のいったことは支持された」と強弁している安倍首相のことではない。もちろん安倍首相やこれを許している自民党や公明党に“バチが当たる”ことは確かであろうが、今日のテーマは「徒然」である。まあ、昨日に続く暑さ撃退法と考えていただいて結構である。
炎天下の散歩を楽しんでいると、この猛暑の中ひとり気を吐いているのが蝉である。少し木立のあるところでは東京でも蝉時雨である。私が育った田舎でも夏はそうだった。それもほとんどがただジージーとなくアブラゼミだった。何となく風情と涼しさを感じさせるカナカナゼミや小さくて可愛いミーミーゼミは少なく貴重だった。こうした事情は東京でも同じである。アブラゼミはカナカナゼミやミーミーゼミに比べると生命力が旺盛なのであろうか、とにかく数も多いし元気である。だからアブラゼミの鳴く様を“蝉時雨”というのである。カナカナゼミも相呼応して鳴くことは鳴くが、それは蝉時雨とはいわないと思う。
しかし、蝉だけがこの暑さの中で気を吐いているのではない。その蝉がとまっている木々もこの暑さの中で気を吐いていることを見過ごしてはならない。樹木であろうが、野菜や稲であろうが、植物は暑さの中で確りと気を吐いている。暑さのためにグンナリしている植物などない。そしてただ気を吐いているだけではない。強い日差しを浴びながら光合成を行い、養分を蓄え稔りという営みをしているのだ。今年のように強い日差しが続くと、今年の秋に実る果物は旨いぞ。それが楽しみである。稲や大豆などの穀物もたわわに実り、味の良いものになる。動物はこれを食して生命を繋ぐ。肉食動物にとってもこの太陽の陽ざしが生命の源なのである。植物もダメになるのは旱魃のときだけである。
だから、暑い暑いと恨み言をいったのでは“バチが当たるぞ”と私は言いたいのである。いわれてみれば誰も当然だと思うであろうが、なにを隠そう私がこのことに気が付いたのは昨夏のことなのである。去年8月、加藤紘一氏の実家が右翼に放火された。私は翌朝一番の列車に乗って鶴岡の加藤氏のところに火事見舞に行った。その日もすごく暑い日だった。上野駅から福島を通り山形新幹線で行った。山形新幹線に乗るのは初めてだった。あれは新幹線とはいうもののフル規格の新幹線とは別物である。私は上越新幹線か長野新幹線で選挙区と行き来していたので、新幹線族なのである(笑)。
でも山形新幹線にも素晴らしいところがあった。それは外の景色が良く見えることである。在来線と同じである。山形新幹線は新庄までである。それからは陸羽西線という在来線に乗り替える。要するにずーっと山形県を縦断した訳である。山形県はなんといっても農業県である。車窓から見えるのは畑と田圃ばかりといっても過言ではない。山々の木々ももちろん目に入る。そのときふと気が付いた。人間はもちろん犬や猫に至まで死んだように暑さに茹だっているのに、木々や稲や野菜などの元気なこと元気なこと。そうだ、これだから私たちは豊かな実りの秋を迎えることができるのだということに気が付いたのである。
何もこんなことを山形県で気が付かなくても、私の選挙区だって田圃や畑がいやという程ある農業地帯である。しかし、選挙区だといろいろなことを考えているので不明にも気が付かなかったであろう。山形新幹線も陸羽西線も最上川沿いに走っている。芭蕉の「五月雨を集めて早し最上川」とか明らかに靖国問題発言で放火された加藤代議士の心情などに想いを馳せていたので、自然界のこの法則にはじめて気が付いたのであろう。それ以来、私は暑い暑いと決していうまいと心に決めた。そんなことをいうと“バチが当たるぞ!”と思うようにしたのだ。これが今日私がいいたいことである。
それでは、また明日。