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世界バレーと専守防衛論

06年11月30日

No.263

世界バレーが面白い。昨日はロシアにストレートで負けてしまった。ロシアにはすでに優勝する可能性がないのだそうだが、やはりロシアは強かった。かつて日本のお家芸のひとつがバレーボールだった。その時のライバルは、ソ連であった。だからソ連・ロシアは、ずーっと強かったことになる。過去の実績からいってもそうなのだそうだ。日本バレーボールを一躍有名にしたのは、女子バレーであった。東京オリンピックの優勝はいまでも鮮烈に思い出す。それから男子バレーも強くなった。確かどっかのオリンピックでは優勝したような気がする(間違っていたらご免なさい)。なぜ世界バレーのことを書き出したかというと深い理由がある。

私はスポーツなどあまり関係ない世界で生きてきた。学生時代6年間ずーっと寮にいたが、自分の部屋(東大駒場寮の時は6人部屋、豊島寮の時は2人部屋)にはテレビはなかった。どうしても見たい時は、食堂のテレビを見た。司法修習生・弁護士になってからも私の部屋にはテレビはなかった。テレビは当時まだ高かったのである。30歳で新潟に帰り、衆議院選挙を目指して活動を始めてからはテレビなど見ている暇はなかった。ニュースなどは見たが、スポーツ番組などを見る時間はなかった。それでも女子バレーの試合は何度か見た記憶がある。その頃の女子バレーはまだ強かったような気がする。世界一かどうかは憶えていないが……。

私が女子バレーに特別な思いがあるのは、東京オリンピックで優勝した日紡貝塚チームをこの目で見たことがあるからだ。確か高校1年か2年の時である。十日町市の市民体育館に日紡貝塚が来て練習をしているのを見せられたのである。学校の方が連れて行ったのだと思う。私たちが学校でやっているバレーボールと比べるとそれは想像もできなかったものであり、まさに目を見張るものだった。どうして十日町市に日紡貝塚チームが来ることになったのか、なぜ引率されて見に行ったのかは分からない。またその時にオリンピックの話など出なかったような気がするが、私が見た日紡貝塚チームはオリンピックで優勝したのだ。感激であった。以来バレーボールを身近に感じてきた。特に女子バレーは。

一流のものを実際に観るということは、教育にとってすごく大切なことだと思う。本物を観せることに優る教育はないのではないか。教育基本法の改正や安倍内閣の教育再生会議のことが盛んに報道されているが、私にいわせればくだらないことばかりが論じられているような気がしてならない。安倍首相は人間の魂が奮わせられるような本物の教育を受けてきたのだろうか。安倍氏の政治や歴史を語る言葉にそのようなものを感じさせるものはない。安倍氏の政治論は、わが国の古いタイプの右寄りの政治家が長年いってきたことを壊れたレコードのように繰り返すだけのものである。保守政治論としても新しいものは何もない。風貌と語り口がちょっと違うだけだ。

女子バレーは往年の華がなさすぎるので、あまり見なかった。柳本ジャッパンは、いつも私の期待を裏切ってきたので好きになれないのだ。それに比べ、男子バレーは先入観がないので好印象だ。植田ジャッパンはいい。さて数試合を観て、認識を新たにしたことがある。バレーの強弱はスパイクによって決まるとばかり思っていたが、ブッロクによる得点のウエイトが非常に高いということである。すごいスパイカーがいても、相手のブロックが強いと何にもならない。わが日本チームは、男子も女子もブロック力が弱いような気がした。そして私は改めて専守防衛ということを思い出した。

最近の防衛論議は、本当に勇ましいものばかりだ。北朝鮮のミサイル発射と核実験後は、兵器に重点をおいた防衛議論が大手をふってなされている。かなり際どいものもある。しかし、この論者たちは「戦争は最高の政治形態である」というクラウゼッツ以来の根本理論を知っていないようである。もうひとつは、専守防衛ということが侵略する側からみたらどれだけ障碍になるかことについての認識がないようである。どうもいいスパイカーさえいれば相手に勝てると思っているようだ。スパイクも大事だが、ブロック力もバレーボールの試合を決める戦力なのである。

専守防衛といった場合、その民族のレジスタンス力も入るだろう。防衛論議で勇ましい発言をする政治家や論者は、レジスタンスなどにもっとも無縁な人々と思えて仕方ないのだ。この人たちの政治的な経歴やスタイルは、いつも権力に擦り寄るものであることを私は見てきたからである。ミサイル防衛システムを完成させるためにどの位の予算が必要なのか、そのシステムを整備することによってどのような政治的・軍事的効果があるのか、そのことを明確にしなければその導入の是非を判断することなどできないのだ。この人たちの議論にはこうした視点が完全に欠落している。アメリカの軍需産業のお先棒を担いでいるとはいわないが、結果としてそうならないのか。もう一度いう。防衛議論は、政治の最高の見識と覚悟をもってなされなければならない。

  • 06年11月30日 02時03分AM 掲載
  • 分類: 1.徒然

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