因縁話あれこれ
07年05月27日
No.438
白鵬の優勝が確定した。横綱もほぼ確実といってよいだろう。白鵬ファンとしては、ひとつの大きな山を越えた感がする。白鵬の所属している部屋は宮城野部屋である。宮城野部屋は、かつて横綱吉葉山が親方だった。吉葉山や鏡里は私が小さかった頃の横綱である。吉葉山は非常に人気のある横綱だった。私は吉葉山ファンだった。私の郷里・新潟県十日町市は相撲の盛んなところで、2年に1度くらい大相撲の巡業がきた。テレビのない時代、私は本物の横綱吉葉山や鏡里をそこでみた。
吉葉山の横綱在位は、昭和29年から33年までである。私が小学校の高学年の頃である。横綱昇進は、“大関で二場所連続優勝またはそれに準ずる成績”が条件である。しかし、吉葉山は昭和29年の初場所で1回優勝しただけである。その優勝は全勝優勝だった。そのためであろうか吉葉山は横綱になった。そして非常に人気のある横綱であった。その理由を書くと長くなるので、Wikipediaの吉葉山潤之輔を読んでもらえれば分るであろう。昭和30年前後は、わが国はまだまだ戦争の傷を多くの人が負っていたのである。悲惨な戦争の苦労は、国民が共有した体験だったのである。
話を白鵬に戻すが、こんなこともあるので千秋楽の今日、朝青龍に勝って全勝優勝ができればこれに優る喜びはない。朝青龍を私はあまり好きになれないが、朝青龍はすでにやはり大横綱である。このふたりの横綱が競い合ってひとつの大相撲の時代を作ってもらいたい。これに刺激されて日本人の横綱もきっと生まれてくるだろう。白鵬のお父さんは、モンゴル相撲のグランド・チャンピョンで国民的な英雄であるという。白鵬にもそういう横綱になってもらいたいと心から願っている。
最近はだいぶ少なくなったが、最初のころ外国人力士を否定する人が結構いた。国技だということがひとつの理由であった。しかし、相撲を国技だとする法律はない。日の丸・君が代は法律を作って解決したが、相撲に関してはそういうことにはならないであろう。またそうする必要もないであろう。慣習法という考えが英米にはある。慣習法という法思想は、日本人には馴染みにくいがなかなか面白い考え方なのである。大相撲に関していうと四股名はすべて漢字表記である。これは今後とも続けていった方がいいと私は思っている。
サッカーを私があまり好きにならない理由のひとつが、Jリーグのチーム名がちょっとふざけていると感じられるからである。「ガンバ大阪」というのがあるが、あれは「頑張れ」からきているのであろう(もし違っていたらご教示願いたい)。英語なのかイタリア語なのか分らないものも結構ある。最近ちょっと気になっているのが、NHK総合の番組名で「英語でしゃべらナイト」というのと「きよしとこの夜」というものがある。前者は完全な駄洒落以外の何ものでもない。後者は駄洒落以上の問題があるからだ。氷川きよしは歌手であっても、番組を司会するキャラクターではないであろう。NHKは、氷川きよしを特別扱いしてはならない。氷川きよしと同じように歌手として頑張っている者がいっぱいいるからだ。それともこれもある所からの圧力なのか? そうだとしたらなお許せない。
それでは、また明日。