おそるべしGoogle
06年11月25日
No.258
昨日、私の携帯電話に『週刊新潮』の記者から電話があり、取材したいことがあるというので、さっき会ってきた。警察に捕まったわけでもない、特別に過激なことを発言した訳ではないというのに、一体何を訊きたいというのか不審に思ったが、変なことを書かれても迷惑なので、まずは会うことにした。その記者から聞いたことに私は本当に驚いた。
週刊新潮の記者が私に訊きたかったのは、永田町徒然草No.255で触れた週刊金曜日主催の「緊急市民集会」のことであった。そのことについては、昨日の電話でも触れられていた。私は前から電話による取材は応じないことにしているので、会うことになったのである。この記者さんが私に件の会のことを訊きたいと思ったキッカケは私のWebサイトをみて、私がこの会に行ったことを知ったのだとばかり思っていた。私のWebサイトをいつも見てくれているのだから、ありがたい"お客さん"だ。念のため確認すると、驚くべき答えが返ってきた。Googleで検索して知ったというのだ。
私も時々Googleで検索することはある。しかし、それはWebサイトを探すためである。この検索をしている時に、Webサイトではない記事も引っかかってくるが、それは見出しなどに該当する文言があるからだとばかり思っていた。件の週刊金曜日の緊急市民集会に関する私の記事は、見出しとか小見出しにそのようなものはない。本文の中にこのことが書いてあるだけである。だがこれをGoogleは拾い上げたというのだ。このことは、私にとって大いなる驚きであった。
Googleが最近なにかと注目されていることは知っていた。だが、私がWebサイトを開設した頃(約6年前)、検索はYahooが主流であったと思う。だから、Webサイトの検索を私は主としてYahooを使っていた。Googleはそれで検索できない時に使っていた。Googleに対してそんな認識しかなかった私なのである。だから、無数にあるWebサイト上の文章の中から、私が週刊金曜日主催の緊急市民集会にいったことを拾い上げたGoogleは、私にとって大きな驚きであり、新しい認識であった。
私に対する質問は、別にたいしたことではなかった。その集会のあるコントに関するものだった。皇室に関するコントで、一部問題にする人がいたので、これをみた私の感想を聞きたいとのことであった。私は自分が見たこと・感じたことをそのまま述べた。それだけのことである。私のコメントを記事に使うかどうかは判らない。
そんなことはどうでもいいのだが、私はこの経験を通じてエシュロンのことを思い出した。6〜7年前、栗本慎一郎代議士が盗聴法がらみで盛んに私に大問題だといっていたのである。エシュロンのことは今日までついに勉強することはなかったが、「白川勝彦」「shirakawa katsuhiko」などといったいくつかのキーワードを指定しておけば、インターネット回線を走るデジタル情報の中からこれを拾い上げることは可能なのではないか?
Webサイト上の記事はもともと公表されているのだから仕方ないが、メール(正しくはインターネット・メールという)をこういうことでピックアップできるとしたら、当然のこととしてそのメールの中身も見ることができるのであろう。こうしたことが可能だとしたら、通信の秘密なんてあったものじゃない。それは本当に大問題だ。暗号化して送ることも可能だろうが、素人のする暗号などアメリカの国家機関が解読するのはいとも簡単なことであろう。私は私で勉強するが、このことに詳しい人はメールで教えてほしい。メールの送り方は、前号の最後に書いておいた。おっと、この記述もまたGoogleは拾っちゃうのかな。しかし、もう一度公表しているのだから仕方ないか:lol:。
「白川、お前はインターネットにかなり詳しいと思っていたが、この程度のことも知らなかったのか」といわれそうだが、残念ながら以上述べたことは事実なのであるから仕方ない。恥をあえて覚悟でこれを書いた。ある事実を知らないことは、それ自体決して恥ずかしいではない。しかし、ある事実を知りながらそれに対する対処や行動をしないことは、恥ずかしいことであり時には責められても仕方ないというのが私の考えである。
それでは、また。