2017年の年頭に思うこと。
17年01月01日
No.1887
背景 : 平成29(2017)年1月1日の日の出 (*上の画像にマウスオンで本文拡大。クリックで年賀状拡大画像表示)
No.1887
2017年・平成29年が来た。新年のお慶びを、謹んで申し上げます。
新しい年が、どのような年になるのか。多くの人々が、そして世界中が、不安をもって新しい年を迎えた。その最大の理由は、トランプ大統領の出現を予定してのことである。とりわけ、アメリカの動静に強い影響を受けるわが国では、不安を抱いて新しい年を迎えた人が多いのではないだろうか。他の国でも、トランプ大統領の出現に戸惑っている人々が多いと思う。
トランプ大統領の出現に惧れや不安を抱く大きな原因は、大統領選挙中の彼の発言や行動にある。トランプ候補の発言は、品のない表現を別にしても、確かに、現代の政治の世界では特異なものが多かった。当選後もTwitter などで色々な発言をしているが、それも、惧れや不安を抱く理由である。今のところ、トランプ大統領の出現に期待や歓迎しているのは、プーチン大統領と金正恩将軍くらいのようだ。安倍首相もそのひとりなのかもしれない。
「40歳になったら、人間は自分の顔に責任を持たなければならない。」は、リンカーンの有名な言葉である。トランプ氏は、もう70歳である。トランプ氏が喋ったことは、彼の本音であるし、そうした考えはこれからも変わらないであろう。私は、そう考える。「十分に説明や説得すれば大丈夫だ」と考える向きもあるが、それは無駄と思う。
トランプ氏の考えがどういうものであっても、それは大したことではない。しかし、トランプ氏の発言を聞いた上で、多くのアメリカ国民が彼を支持したことが大問題なのだ。彼の表現を別にしても、トランプ氏と同じ考えや感覚が厳然としてあることを、私たちは忘れてはならない。そう考える人々が、トランプ氏に投票したのだ。
世界の良識や理性のある人々が問題としたトランプ氏の発言や考えは、世界のどこでも、いつの時代でもあった。しかし、哲学や文化は、そうした考えを乗り超える営みであった。民主主義という手続きが、多くの人々をこれに参加させてきた。それは、戦いの歴史であった。一時的な現象としては、良識や理性が敗北したように見える。
アメリカの独立革命とフランス革命から始まった自由主義と民主主義の戦いが、ここで終わる訳がない。それは、世界の政治史の
少し突っ込んだ見方をすれば、アメリカという巨大な力を持った国家でも、世界中の人々を敵に回すことはできない。だから、“自由・平等・博愛”という看板を掲げながら、世界戦略を展開してきたのではないか。ベトナム戦争やアラブ中東における戦争を見れば、こう言えるではないか。しかし、その攻撃に晒された国々の国民は、そんな看板を信じる筈がない。
わが国でアメリカが行ってきたこと・現にやろうとしていることを冷静に分析すれば、同じような誹りを受けても仕方がないことは、多々あると思う。私は反米主義者ではないが、さりとてアメリカ隷属主義者でもない。憲法を中心とする理念を共有する国同士だから、親米なのだ。だから、トランプ氏のような考え・感覚のアメリカ人と友達になれる筈がなし、その気もない。
わが国の知識人やマスコミは、トランプ氏の動向を気にし過ぎているのではないか。早くも、トランポノミクスなどという造語が使われ始めている。アベノミクスなる造語も、内容は何もないことが明らかになった。トランポノミクスなるモノも、何も生み出さないであろう。トランプ相場など、所詮ウォール街が自らのために勝手に仕掛けているに過ぎない。儲けるのは、彼らだけである。
だから、私は「“泰然自若”としようではないか」と言っているのだ。トランプ大統領が出現しようが、彼やアメリカの思惑や力で世界の大きな流れを変えることなど、出来ないのだ。トランプ大統領がどう言おうが、アメリカがどう言おうが、ダメのものはダメなのだ。アメリカがこれまでのスタンスと全く違うことを言うようならば、わが国もこれまでのスタンを変えれば良いのだ。
山より大きな猪
それでは、また。