永田町徒然草400号に寄せて
07年04月19日
No.400
この永田町徒然草は、今日で400号である。100号は2000年11月15日、加藤騒動の真っ最中であった。200号は2004年5月13日、年金保険料未納問題で菅民主党代表が辞任したときであった。菅氏の後継代表にほぼ決まりかけていた小沢一郎氏も年金保険料未納が発覚して代表選を辞退し、岡田卓也氏が代表となった。参議院選挙の直前であった。300号は今年の1月9日である。
以前この永田町徒然草の更新は週に1~2回であった。だから100号や200号のその日に大きな出来事があったのは理解できる。しかし、現在のように毎日書いていると必ずしもこうはならない。300号のときは比較的平安の日であったようだ。この400号はそうではない。今日もニュースは昨日のヴァージニア工科大学の乱射事件と長崎市長銃殺事件でもちきりであった。また今日バクダッドでは爆弾テロで190人以上が殺害されたと伝えている。“永田町”徒然草のためであろうか、書きたいことを“徒然に”つづるという訳にはなかなかいかない。
ヴァーニジア工科大学の事件も長崎市長銃殺事件も、どうして犯人があのような凶行に及んだのかいまひとつと得心がいかない。アメリカの事件では謎が多すぎるし、長崎の事件は“動機”が揃い過ぎている。捜査当局の掘り下げた捜査を求めるとともに専門の学者などから詳しい分析をしてもらいたい。このような事件の再発を少しでも防ぐためである。しかし、根本の原因は昨日述べたことにあるように思う。だから今日はそのことには触れないことにする。
現在のように毎日この永田町徒然草を書いていると、100号毎にあまり感傷的なことを書くことは許されなくなるであろう。しかし、当事者としてはそれなりに重いのである。毎日書くことがキツイとか苦痛だというのではない。書きたいことは山ほどある。だが今日何を書くべきかというと、それはけっこう難しい。私のWebサイトにアクセスする方々に、できればもっとも関心の深い問題について述べたいと思うからである。書くべきテーマは分るのだが、それについて詳しい知識がないために書けないときもある。また1日中外に出ていたために、その日どういうニュースがあったのか判らず、時事に関することが書けないときもある。
この永田町徒然草が500号・600号となるとき、社会がどうなっているかまた私がどうなっているか、それは私自身にも定かなことは判らない。しかし、そこがまた面白いではないのか。私自身のあり方にとって、このWebサイトや永田町徒然草は大きな意味をもっている。だから実は私自身のためにこれを書いているのかもしれない。幸いにもいま書いているものは、約1万人の方々の目に晒される。その“風圧”は、私にとって非常に重いものである。皆さんのアクセスに感謝しつつ、私に対する激励の意味で変わらぬアクセスをお願いする次第である。
それでは、また明日。