積極的平和主義の元祖アメリカは !?
15年04月12日
No.1743
先週の寒さは、異常だった。私は毎日オーバーを着、マフラーをしっかり巻いて出かけた。とても、桜を愛でる心境にはならなかった。今日は天気が良いが、明日はまた雨で、気温も上がらないという。それでも、後半は例年通りの4月となるのだろう。こんな天候だから、体調もあまり良くなかった。気候が良くなったら、少し運動を心掛けたいと思っている。人間は、健康でなければダメだ。
先週の出来事の中でいちばん印象深かったのは、天皇皇后両陛下のパラオ・ペリリュー島での慰霊である。両陛下は、事ある毎に戦争の悔悟と平和の祈りを繰り返しておられるが、いまの安倍首相とその仲間は、そうしたことには一向に無頓着だ。憲法9条の平和主義は、わが日本国憲法の大原則であり、安倍首相が進める積極的平和主義は、この大原則から大きく外れている。だが、安倍首相などの改憲論者は、ここのところがどうしても理解できないのだ。
そもそも、積極的平和主義は、第二次世界大戦後のアメリカの海外戦略だった。冷戦下では已むを得なかったところもあるのだろうが、朝鮮戦争・ベトナム戦争などの歴史を振り返ると、果たして世界平和に貢献したのか、また、アメリカのためになったのかを検証する必要があるように思われて、仕方ない。政治的価値観の争いはいつの時代もあったが、それに武力や暴力が伴うと、ロクなことにならない。
キリスト教とイスラム教の対立は、千数百年にも及ぶことだ。しかし、この宗教的対立が世界的テロリズムの横行という事態となったのは、十字軍の時代を除き、果たしてどのくらいあったのだろうか。価値観の違いは、必然的に武力闘争や戦争になるのだろうか。危険性は極めて高いものの、それは、絶対的なものではないと思う。
歴史上の名君と言われる為政者は、軍事的対立を起こさないようにしてきた。名君たちは、民衆がもっとも望むものが平和であることを知っていたからである。時には、戦争が民衆の昂揚や暴走によって惹き起こされることもある。扇動者と呼ばれる一群も、存在する。しかし、その多くは権力者側のダミーである。いまマスコミで安倍首相の提灯持ちをしているコメンテータなどは、この類の連中であると、見抜かなければならない。
積極的平和主義の元祖アメリカにおいて、いま大きな変化が起こっている。ひとつは、イランとの和解交渉である。もうひとつは、キューバとの国交回復である。イランとアメリカの国交断絶は、在イランアメリカ大使館占拠と、ホメイニ師のイスラム革命だった。キューバ革命の英雄カストロとゲバラは、私達が若かった頃の、ひとつのファッションだったくらいだ。いずれも、私たちの時代に起こった出来事だった。それがいま、歴史的な和解に向かっているのだ。
いろいろ言われているが、オバマ米大統領はまだ死んでいない。わが国の安倍首相は、益々元気いっぱいであるが、彼の頭の中は、時代遅れの葬るべきアナクロニズムでいっぱいだ。アナクロニズムの思い付きで新しい何かが生まれることなど、絶対にあり得ない。国民ももう、それに気が付かなければならない。このような愚かな国民を存在せしめているのは、堕落したマスメディアである。マスメディアの責任は、極めて大きい。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。