俗物 V.S. 良識人
15年01月06日
No.1729
いよいよ、平成27年が動き始めた。この年末年始は何処にも行かなかったので、テレビを見る時間が多かった。そして私は、わが国の文化が崩壊ししつあることを、強く実感した。かつては、テレビのスウィッチを入れれば、それなりの番組があったものだが、最近では、数十秒も見れば即座にチャンネルを変えたくなるものが多くなってきた。それ程、愚劣で質の低い番組が増えてきたのだ。
BS放送を含めると、わが家のテレビでは十数局の番組が見られるのだが、最近では、テレビのスウィッチを入れるのが嫌にさえなっている。放送は文化を高めるためにあるのだが、わが国の放送は、文化を崩壊させるために存在しているのか、と言いたくなる。報道番組もそうだ。政権に都合の良いことを報道し、厳しい現実から目を逸らそうとしている。かつての大本営発表が連想させられて、ならない。
そんな、メディアの発する“情報や文化や芸能”が氾濫している中で、安倍政治が行われている。安倍首相の新年の挨拶等が放映されたが、その言葉は余りにも空疎であり、虚しかった。伊勢神宮参拝後の記者会見で、プロンプターを使っていた。伊勢神宮参拝後の記者会見くらいは、“地でいけよ”と言いたくなった。天照大御神に一体、何を誓ったのだろうか。
最近私が思うのは、「わが国の政治は、文化というものを全く理解していない“安倍首相とその仲間=為政者”との戦いである」ということだ。文化というものを理解していない人物を、私たちは何と呼べばいいのだろうか。俗物と呼ぶのが、最も適切であろう。俗物と対峙する人物は、良識をもった人物と呼ぶのが最も適切なのではないか。
俗物の属性は、
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。