暑くなければ困るのだ。
14年08月02日
No.1687
確か、関東地方の梅雨明け宣言がなされたのは7月22日だった、と記憶している。それから丁度10日経ったが、東京地方には一向に雨の兆しはない。関東の一部では、今夜あたり一雨あるそうだが、都心では望めそうもない。余りにも暑いので、冷房の効いた事務所に引き篭もっているが、今日は所要で出歩いた。木立のある所で少し休んだら、蝉が一生懸命に鳴いていた。気温も、少し和らいでいた。「そうだ、これが本当の夏なのだ」と思った。
日本の夏は、昔から暑かったのだ。私が育った新潟県十日町市でも、夏は暑かった。太陽がじりじりと照らす日が、何日も続いたものだ。そんな日は、すべてが乾ききっていた。それでも猛暑日だとか、酷暑日だなどと言わなかった。普通、水はあったので、太陽を浴びて、作物は順調に育っていった。雨の多い低温の夏は、すなわち不作であった。その程度が強いと凶作となり、農村では深刻であった。
だから私は、あまり暑い、暑いというのが好きでないのだ。夏はもともと暑いものと覚悟し、また暑くなければ大変なのだと観念し、暑さにどうやって打ち勝っていくのかを考えなければならないのだ、と思っている。まず服装であろう。クールビズ、大いに結構ではないか。私も、下着はランニング・シャツ、Yシャツは、半袖でノーネクタイ。最近は、法廷でもこの服装で構わない。ズボンは、ダブダブのものが良い。
次に大切なのは、暑さに慣れることではないのか。いや、これがいちばん大切なのかもしれない。私は耐えられない限り、冷房は使わないことにしている。現代の私たちは、余りにも冷房に依存し過ぎているのではないか。都心で仕事をするためには冷房は必要品ではあるが、それは最低限度としなければならない。冷房が余りにも効き過ぎて、ぶるぶる震えている人もいる。
自宅で私は、冷房を使わない。家に帰ると私は、ランニングとパンツだけになる。許されれば、ランニングも脱ぐ。暑さの中でこの服装(?)でいると、
今年の夏、私には新兵器がある。“冷風機”というやつだ。扇風機と違い、気化熱を使って、少し涼しい風を送ってくれるのだ。室温を何度下げてくれるのか確かめていないが、少なくとも、室温より涼しい風が流れてくることだけは実証済みだ。冷風機は8000円くらいで買えるし、使用電気料も一晩1円とかという単位だ。使い始めて10日余になるが、私は良い物を買ったと満足している。
暑い中、下らない事をごちゃごちゃと書いたが、自然豊かな地域でお暮しの方々は、笑っておられるであろう。そう、本当に下らない事なのだ。東京などという化け物都市に集まり過ぎたから、こんな馬鹿みたいなことに悩まされているのだ。一極集中に、そもそも問題があるのだ。私の政治の師、故・大平正芳元総理が掲げた「田園都市国家構想」が実現されていたら、今日私が述べたことなど、すべて戯言である。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。