石油の一滴、血の一滴。
14年07月15日
No.1684
昨日と今日、衆参両院の予算委員会で、集団的自衛権の行使容認の閣議決定について、閉会中審議が行われた。仕事が忙しかった私は、全部は見られなかったのだが、私がみた範囲でも、気に懸った点が幾つかあった。そのひとつは、ホルムズ海峡が機雷で封鎖された場合、それを除去することに関する質疑応答だった。安倍首相は、機雷除去への参加を明確には否定しなかった。
日本が輸入する原油の80%は、ホルムズ海峡を通ってわが国に来るという。そのホルムズ海峡が完全に封鎖されたら、わが国の経済と国民生活が大変なことになるのは、容易に想定される。安倍首相は、そういう事態になれば国民生活の根底が侵されるようなニュアンスの発言をしていた。ホルムズ海峡以外の地域で機雷封鎖が行われても同じような事態が起こり得るといい、集団的自衛権の行使を、これまた明確に否定しなかった。
太平洋戦争(わが国とアメリカの戦争)は、石油を巡って始まったと言われている。だから、わが国は石油を求めて、まずインドシナ半島に侵攻していった。その当時、「石油の一滴は、血の一滴」と言われたという。集団的自衛権の行使容認を主張する論者は、ホルムズ海峡やシーレーンの防衛の必要性を強調する。確かに、石油はわが国にとって非常に重要である。死活的に重要かもしれない。しかし、「石油の一滴は血の一滴」といって、集団的自衛権を行使するケースなのであろうか。
安倍首相は「断固として国民の命と生活を守る」と、声を大にしてその使命感を強調する。国民の命と生活を守るために、集団的自衛権の行使が必要なのだと説明する。しかし、「集団的自衛権の行使→他国との戦争」は、安倍首相とその仲間がどんなに否定しようとも、避けられない真実なのである。もし国民が安倍首相の説明を良しとするのであれば、「石油の一滴は、血の一滴」を是認することになる。確かに石油は大切だが、国民の命を懸けてまで、すなわち戦争をしてまで石油を守るのを、国民は本当に望んでいるのだろうか。日本国民はもっと賢明であり逞しい、と私は信じている。
この外にも、重大な問題発言が多数あった。それらを国会論戦で明らかにしていくことが、いま必要なのである。マスコミは憲法学者や有識者を動員して、集団的自衛権の行使の問題点を逐一明らかにする義務がある。いつも言っているように、憲法を論じることは、理想や希望を論じることである。哲学や文化を語ることである。わが国が戦争をしないと内外に闡明した理想と哲学を論じることは、いま、死活的な重要事なのである。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。