北朝鮮のような国になるぞ。
13年12月14日
No.1626
先週は、特定秘密保護法案騒動で緊迫した1週間であった。今週も、重要なことがいろいろとあった。その中で多くの人々がいちばんドキッとしたのは、北朝鮮の張成沢国防委員会副委員長処刑というニュースだったのではないか。多くの国民は、北朝鮮が特殊な国であることは知っている。しかし、スターリン時代の粛清を彷彿とさせるような事実を改めて見せつけられると、「やはり北朝鮮は怖い国だ」と、認識を新たにしたと思う。
もちろん、私もそうした一人であった。私は、北朝鮮の政治にあまり関心がない。北朝鮮という国は、私たちがリーズナブルな付き合いをしようと思っても、それができない国だと思っているからだ。こういう国とは、関わらないのがいちばん賢明と思っている。その割には、多くの人々が関心をもっているせいか、ワイドショーなどでは、北朝鮮モノがやけに多く、北朝鮮問題御用達の“専門家”が多くいる。
多くの人々は、今回の件で、北朝鮮という国を「恐ろしい」と感じたと思う。しかし、重要なのは、“何が恐ろしいか”だ。法律の専門家として言えば、「今回の事件の恐ろしさは、罪刑法定主義と公正な司法手続が北朝鮮にはない」ということなのだ。罪刑法定主義と公正な裁判手続こそ、自由主義の原点であった。皇帝や王様たちの恣意によって人民の命と自由が奪われるのを阻止するために生まれたのが、罪刑法定主義と公正な裁判制度なのだ。
罪刑法定主義とは、「国が、国民に刑罰を科すためには、法律でそれを明確にしておかなければならない。」ということだ。逆に言えば、「法律で禁止されていないことをやったとしても、刑罰を科せられはしない」のが自由主義社会だということになる。権力者の恣意的判断で、「それは法律に違反しているぞ」ということは、罪刑法定主義の国では絶対に許されない。特定秘密保護法は、権力者の恣意的判断で特定秘密がどんどん拡大される危険性がある。だから、多くの専門家が反対しているのだ。
公正な裁判手続の基本は、公開された裁判と証拠による犯罪事実の認定である。その手続きを定めているのが、刑事訴訟法である。刑事訴訟手続きでいちばん進んでいるのは、アメリカの司法手続きだと、私は思っている。戦後、わが国の刑事訴訟法はアメリカの刑事訴訟手続きを基本として定められたが、不十分な箇所が至るところにある。裁判員裁判など、一見アメリカの陪審制度を参考にしているように見えるが、似て非なるものである。
法律の専門家でない人には、急に話が難しくなったと思う。しかし、多くの国民は肌感覚で、特定秘密保護法が自由にとって極めて危険なのではないかと察知した。そんな法律を、これまでに見たことがない強行採決の連続で成立させた。数さえあれば何をやっても良い、という考えである。まるで、北朝鮮の国会を見ているようであった。安倍首相は信用できないぞと、多くの国民が思い始めたから、内閣と自民党の支持率は急落した。焦った安倍首相は、これから特定秘密保護法について自ら丁寧に説明していくと記者会見で述べた。十分に説明して貰おうじゃないか。
マスコミも、特定秘密保護法をいい加減に済ますことはできないぞと思っているようだ。12月13日付けの『毎日新聞』の社会面に、私の発言が載っている。法律成立後に取材を受けたのも初めてなら、それが記事として掲載されたのも初めてである。マスコミは、もっと頑張らなければならない。そうしないと、わが国も北朝鮮のような恐ろしい国になるぞ。これは、脅かしでもなければ、被害妄想でもない。長い間、リベラルの灯を掲げて闘ってきた私の確信的認識である。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。