東京オリンピック2020
13年09月08日
No.1606
東京オリンピック2020が決まった。選挙と違い、こちらの票読みは私には分からなかった。各候補地のプレゼンテーションを見ていたが、わが国のそれは、あまりにも金満的な満艦飾という感を拭えなかった。オリンピックが平和と希望の祭典だとするならば、2020年オリンピックの候補地としていちばん相応しいのは、イスタンブールだと私は思っていた。敢えて火中の栗を拾うような気概を、現在のIOCに期待することはできないのであろう。
オリンピックの招致は、サッカー・ワールドカップや世界陸上選手権の招致とはいささか違う、と私は思っている。いま、わが国を覆ってる高揚感は、平和と希望の祭典の招致に成功した喜びとは、かなり違っているように思う。しかし、どうであれ、東京オリンピックの開催が決まったのだから、これ以上あれこれ言うつもりはない。わが国のオリンピック関係者がこれから詰めなければならない問題は、この落差であると思う。
1964年の東京オリンピックの時、駒場にあった東大教養学部のグランドがオリンピック選手の練習場になったので、大学は休みとなった。それをよいことに、私は郷里に帰り、オリンピックはテレビで見ていた。いま考えれば、実にもったいないことであった(笑)。東京オリンピックの思い出として、いまでも強く残っているのは、マラソンのアベベと、女子バレー、東洋の魔女の優勝であった。
中高年の繰り言はこれくらいにして、これからは、少し健康に気を付けて、東京オリンピックをこの目でみるのを目標にでもしてみようか(笑)。それにしても、シリア情勢は、依然として国際政治の最大の問題である。アメリカの軍事介入発言を契機に、シリア情勢は、世界全体の問題として動いて行くような気がする。そういう意味で、オバマ米大統領とアメリカ議会の動静に今なお最大の関心をもち、注視している。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。