春、未だし。
13年03月31日
No.1563
今日は、3月の
先週の東京市場の動きも、この陽気のだった。鳴り物入りで登場した、黒田日銀総裁。私は、ご祝儀として、かなりの円安・株高になると思っていたが、そうはならなかった。キプロスの金融危機とイタリアの政局不安定があったからだと経済評論家はいっているが、ニューヨーク株は、史上最高値をつけていた。何事も、最初が肝心である。いかなる理由があるにしろ、先週の東京市場は円安・株高が進行しなければならなかったのだが…。
そもそも、日銀総裁が、その就任前にイケイケ・ドンドンの発言したことは、私の記憶にない。今回の日銀総裁選びは、あまりにも政治的であり過ぎた。同姓の総裁が悪しざまに言われたことに、根に持っているのではない。私は、アベノミクスなるモノに、そもそも懐疑的なのだ。経済の動きは、政治よりはるかに冷厳な、原理原則に拘束されている。誰かが、勝手な原理原則を作る訳にはいかないのだ。
最近私は、できるだけ経済関係の本や記事を読むようにしているが、そう簡単に経済が分かる筈がない。私は依然として、経済の素人といってよい。しかし、債務整理という仕事を通じて、世の中の人々の生活状況に直面せざるを得ない。そして、人々の暮らしがもっとマシにならなければならないと思っている。現状は、ミゼラブルと言わざるを得ない。だから、政治に期待しているのだが、希望を与えるような政治のメッセージは伝わってこない。アベノミクスも、多くの国民に希望を与えるものではない。
自信のないことは、このくらいにして、先週の永田町徒然草は、2題とも、気軽なモノだった。しかし、最近にはないくらい、多くのアクセスを頂いた。そもそも、政治にあまり見るべき動きがないから、論評しようがないのだ。これからは、政治とあまり関係ないことも、気軽に書こうと思っている。この歳になって、初めて気が付くこともあるし、率直に言えることもあるから。
さあ、明日から4月である。これも、ひとつの区切りである。長い人生なのだから、いろいろな区切りがあった方が良いと、私は思っている。まだ当分は、国民生活の動きに
それでは、また。