文化の日に思う。
09年11月03日
No.1333
今日は文化の日。いまほど国民の祝日がなかった私の子供の頃、もっとも祝日らしいお休みだった。私たちが“文化の日”というと、明治生まれの親父は“天長節”だと頑強に言い張っていた。元々は明治天皇の誕生日をお祝いする祝日だったのだ。天皇誕生日が国民の祝日となったのは、これが初めてであろう。
文化の日には、学校で“文化祭”が行われた。どういうことをやったのか記憶が出てこない。それほど大した事をやらなかったからなのであろう。しかし、とにかく文化祭があったのだ。いつも使っている自分たちの教室に何かを展示したのだ。あまり教育熱心でなかった私の親父やお袋などは、一度も見に来てくれたことなどなかった(笑)。それは私の家だけのことではなかったと思う。それでも学校は熱心に文化祭を行った。そう、私たちが子供の時代、文化祭は特別の意味をもっていたのだ。
戦争に敗れたわが国の新しい目標は、“文化国家”を築くことであった。文化国家を築くという目標は、きわめて漠として範囲が広い。しかし、文化国家という概念は力強いメッセージであった。文化勲章の受賞者などは、その象徴であった。文化勲章の受賞者に対する評価は、今とは格段の違いがあったような気がする。文化国家という目標を掲げる以上、教育は絶対的な価値をもっていた。現在に比べれば、きわめて貧しく劣悪な環境であったが、国全体が教育に対して熱意をもっていた。私はそういう時代に育った。それはいまでも息づいているつもりだ。
教育とは、教え育てることである。そうはいっても大人が教えることなど限界がある。だから、子供たちが学ぶことを理解し、その環境を作ることが教育熱心ということなのであろう。私の両親も文化祭や学級参観には来てくれなかったが、私たちが勉強することは理解し、自由にしてくれた。農作業が忙しい時でも、当然のように手伝えとは言わなかった。私のお袋は、“勝ちゃん、悪いね”といつも言っていた。お袋は頼み上手であった。私の東大受験の時には、守り地蔵にお百度を踏んでくれたと後で聞いた。
“子供手当”、“高校実質的無償化”などが政治の場で盛んに話題となっている。少子化対策だ、内需拡大策だ、いや教育こそ最大の投資だなどといっているが、何兆円というお金を使うにしては、理想がない。熱くするものがない。昭和20~30年前半代の“文化国家を築く”の方が、はるかに大きな理想と明るさをもっていた。民主党政権も、お金を使わずに世の中をもっと明るく術を知らなければならない。文化の日にそんな想いを新たにする。
それでは、また。