失意泰然 得意冷然
09年10月06日
No.1309
中川昭一元財務大臣が急死した。死因は分かっていないが、私はひとりの政治家として複雑な気持ちを禁じ得ない。私も長い政治生活の中で、なんども苦境を味わった。その中でも選挙に敗れることは、もっともつらいことであった。戦いを挑む者は、戦いに負けることも覚悟しておかなければならない。そんなことは分かっているのだが、選挙に負けたつらさは落選した者でなければ分からない。私は昔の武将の方がよっぽどマシだと思ったことが何度もあった。昔の武将は戦いに敗れれば、落命して終わりである。落選後のつらさなど味あわなくて済むからだ。それほど落選後の政治家の身の処し方はつらいのである。
中川氏は故中川一郎元農水大臣の強大な後援組織を引き継ぎ、選挙は圧倒的に強かった。これまで中川氏には、選挙に落ちる心配など微塵もなかったであろう。イタリアでの“もうろう会見”に端を発して、盤石な選挙情勢に不安が生じた。麻生首相の下で自民党支持率は日を追って落ちて行った。盤石な選挙態勢を誇っていた中川氏も、これには堪えられなかった。そのことは選挙関係の専門家ならば皆知っていた。政治家は選挙の専門家でなければならない。しかし、恵まれ過ぎていた中川氏に今回の選挙の結果を受け容れることは、余りにもつらすぎたのだろう。落選とは、それほどつらいのである。
私は30年近くの政治生活の中で4回も落選を経験している。それでも落選慣れすることなど決してなかった。落選は政治家にとって“死”である。本当に死んでしまったのであれば、選挙後のゴタゴタからすべて解放される。昔の武将は、そんなことなどしなくてよかったのである。“死”は勿論つらいであろうが、落選処理は死と同じくらいつらいのである。それでも私は死なずに生き延びてきた。いまでは落命しなくて良かったと思っているが、それはつらい苦境を乗り越えて初めて言えることなのである。そうしたつらい時期を過ごしている時、親しい支援者から贈られた言葉がある。
失意泰然 得意冷然
私は今回の総選挙を戦った者に、この言葉を贈りたい。もし読者の中で支援した候補者があれば、勝った者にも負けた者にもこの言葉を贈って頂きたい。きっとなにがしかの慰めにはなるであろう。
この言葉がもっている本当の意味は、これからの永田町徒然草でたびたび述べなければならないであろう。
それでは、また。