熱狂的な盆踊り
09年08月13日
No.1256
今日は旧盆の入りである。家内は東京育ちなのでお盆は7月だが、私のお盆はやはり8月なのだ。盆と正月というくらい、昔のお盆は特別の休みだったのである。ご先祖さまが家に帰って来るだけの仏教的な行事ではなかったのだ。いろいろな催しがお盆に行われた。その中で、最大のイベントが“盆踊り”だった。ブラジルのカーニバルようなものだったのだろう。
私の実家の隣には大きなお寺があった。その中庭に櫓(やぐら)が組まれた。13日はお墓参りだ。集落のほとんどの人々が提灯をもってそのお寺に墓参りにくる。暗くなってからだ。闇に中に色とりどりの提灯が動く。幻想的でさえあった。その日に盆踊りはなかった。
しかし、14日から2日~3日くらい盆踊りがあった。これも暗くなってから始まった。老若男女が多く集まり盆踊りが始まる。若い衆が櫓の上で太鼓を叩く。笛はなかった。三味線もなかった。唄いながら踊るのである。男女の掛け合いもあった。盆踊りが延々と繰り返された。夜の12時過ぎまで続いた。裸にはならないが、それはかなり“熱狂的”なものであった。昭和30年代半ばから徐々に少なくなり、最近では郷里十日町市でも盆踊りが行われる集落はほんの僅かである。
今年のお盆には憲政史上初の衆議院議員総選挙が始まっている。公示は5日後だが、いまや盛りである。麻生首相が口をひん曲げて、“責任力”とか“政策の集約ができない政党にわが国の安全は任せられない”などと喚(わめ)いている。無責任な政治を行い、わが国と国民生活をズタズタにしてきたのはいったい誰なのだ。自公“合体”政権だろうと国民は思っている。
冷戦が終わりアメリカでさえ軍事政策の全般的な見直しを行っている。それなのに昔ながらの防衛政策を“五十年一日”の如く継続し、多大の軍事費を使っているのは自公“合体”政権だろうと言いたくなる。時代は世界的に大きく動いているのだ。極東アジアでも軍事情勢は大きく変化している。その中でわが国の軍事政策を見直そうと考えるのはごく自然のことである。当然のことながらいろいろな構想が出てくる。それを安保政策を集約できないなどと非難する方がよほどバカげている。国民は熱狂的に議論しなければならないのだ。
それでは、また。