日本人と桜
09年04月08日
No.1135
東京の桜は、昨日あたりが満開なのであろう。まさに“春、爛漫”である。桜の木の下は、もう白くなり始めている。桜の花の命は短い。あと1週間もすれば、みな葉桜となる。昨日銀座に出向いた時、街路樹の若葉が良い様子になっていた。私の大好きな“新緑の季節”は、もう直ぐだ。
ふだん桜の木はそんなに目立たない。だが、花が咲くとこんなにあったのかと驚く。そうした桜の木が一斉に咲き誇る。そして一斉に散る。“花は桜木、人は武士”。日本人は桜の花がよほど好きなのだろう。そういえば、桜の花は日本人の政治的ビヘイビアにどこか似ている。一斉に燃え上がり、そして一斉に冷める。この1週間近くの“飛翔体騒動”など、1ヶ月後には忘れているであろう。小沢事件もそうなるのであろうか。
正確にいうと、これは日本人の政治的ビヘイビアというよりも、わが国のマスコミの在り様(ありよう)と言った方がよいのかもしれない。問題の本質を深く問い詰め、それを解決しようという姿勢に欠ける。マスメディアにそのような特質があることは避け得ない。それだけならば仕方ないのだが、最近のマスコミの動向はそれだけでは済まされない。自公“合体”政権の意図が窺えてならない。迎合を通り過ぎて、共犯者ではないかと思われる節さえある。小沢事件では、間違いなくそうであった。
わが国民は、このような状況の中で政治的な戦いをしていかなければならない。こんなことは、国民にとってたぶん初めての経験なのではないか。戦前・占領中の状況を私は知らないが、少なくとも昭和30年以降のマスコミは体制べったりではなかった。時には反体制といわれる時さえあった。私はマスコミに攻めたてられる自民党の中に長くいたので、そういう事情はよく分かる。自民党は“マスコミはけしからん”と憤慨したり激高することはあったが、これを規制しようとすることなどなかった。
だいいち自民党にそのような力はなかった。仮にそのようなことを企ててもマスコミの逆反撃にあって、火に油を注ぐことになり兼ねなかった。また自民党の中には、それを政権党の宿命として甘受する気風もあった。自公“合体”政権が誕生してから権力とマスコミとの関係に明らかな変化があった。自公“合体”政権はマスコミを何とかしようと企てるようになった。しかし、マスコミ側はこれと戦おうとしなかった。政権の中心に創価学会・公明党が存在していたことは、このことに大きく関係していると私は思っている。このことはいつも指摘してきたことだ。今日はこのくらいにしておこう。
それでは、また。