情報機関の人間力の劣化
07年05月22日
No.433
先週の土日、私は郷里・新潟県十日町市に行ってきた。どうしてもやらなければならないことが一つだけあったのだが、連休中どこにも出かけなかったので山菜を食べたいという気持ちも強かった。できれば山菜採りにも挑戦してみたかった。しかし、残念ながら二日間とも小雨に降る肌寒い日であった。山菜採りに挑戦することはできなかったが、友人のもてなしで山菜をいただくことはできた。
十日町地方でもっとも珍重される山菜は、「木の芽」である。これは全国的にも珍しく、十日町市以外で食べたことがない。十日町地方で「木の芽」と呼ばれるものは、アケビの新芽である。アケビは蔓となる植物であるが、その蔓の新芽を「木の芽」といってこれを食するのである。生ではなく茹でて水に浸しておいて、食べるときに生卵の黄身だけをのせて醤油を少しかけていただく。ほろ苦くて、酒のつまみとして最高である。少し時期は過ぎていたが、友人がわざわざ山に行って採ってきてくれていた。
例年ならばこの季節は山菜の絶頂期なのだが、今年は小雪だったためにおしなべてもう時期は終っているらしい。いちばん最後に盛んになるゼンマイやワラビが盛んのようであった。十日町地方の山菜が旨いのは、深い雪のせいだと私は思っている。例年ならば、山では4月いっぱい雪である。しかし、5月ともなればその雪も消える。その時期になると、日射はもう十分に強い。雪に埋もれていた「木の芽」やウドやコゴミやゼンマイやワラビなどが一気に生長する。だから豪雪地帯の山菜は、灰汁(あく)が少なく柔らかく美味しいのである。
山菜談義はこの位にして、二晩とも友人たちと酒を酌み交わしながら、夜遅くまで飲んだ。私のWebサイトをみている友人たちばかりであったので、久しぶりに会った気がしないという。Webサイトの効用は、こういうところにもあるようだ。いろんなことを思いのたけ話しあった。こういうことは、Webサイトではやはりできない。やはりできるだけ実際に会わなければならない。“朋、遠方より来たるあり、亦楽しからずや”である。友と会い、美味しいものを食べ、旨い酒を飲むのは、人間として最高の喜びであり、至高の贅沢である。人間60歳を過ぎたら、このような人生の楽しみ方を知らなければならない。
私は郵政政務次官をやった関係で、メディア問題にはずーっと関心をもってきた。ニューメディアといっていろいろなメディアが異常に騒がれる時代があったが、メディアとは所詮人と人との意思の伝達のツールであるという考えが私にはあった。それは現在も変わらない。だから、いろいろな新しいメディアが登場しても、いちばん肝心なのはそこにのせる情報の質である。ハイビジョンテレビのことをかつて“高品位テレビ”と呼ばれた。「ハイビジョンテレビだからといって、俗悪番組が品位のある番組になる訳ではないですよ」と私はよく冗談をいった。しかし、これは冗談ではないと思う。やはり情報の質が問題なのだ。情報の質を決めるのは、情報を発信する者の“人間力”なのである。わが国の報道機関の人間力がいま極端に劣化している。
それでは、また明日。