ホリエモン判決・余話
07年03月19日
No.369
先週の金曜日あたりから身体がゾクゾクし始めた。土曜日はもう完全にダメであった。悪寒に苛まされながら、ホリエモン判決雑感2編を物した。それ以外は良い子になって寝ていた。それは昨日曜日、ちょっと離れたところに仕事で出かけなければならなかったからである。私が行かないと大勢に人に迷惑がかかる。だから何としても治したかったのである。風邪薬もちゃんと呑んだ。
朝目覚めると何とか大丈夫そうであった。出発は午後で良かった。仕事の都合で場合によっては、一泊しなければならない虞もあった。念のために本日updateすべき記事を予めセットしておこうと思った。記事を書く時間はあった。しかし、日曜定番の政治4番組をみたらとても書けなくなってしまった。特に田原総一朗の『サンデープロジェクト』を観たらもう書けなかった。これを観終った後では、今度はもう時間がなかった。昨晩、最終便で東京に帰ってきた。日曜日の東京駅近辺は、やけに寂しかった。
『サンプロ』はホリエモンを約1時間近く出演させていた。既に述べたように私はホリエモンをテレビに出演させることそれ自体が悪いといっているのではない。私が問いたいのは、なぜホリエモンを出演させる番組を作るのかという理由と基準である。最近の司法は確かに問題は多い。『サンプロ』が司法を批判することは、おおいに結構なことだ。無罪を争っている被告人は、検察権力と戦っているのだ。こういう人たちに検察や裁判所の批判の機会を与えることは、日本の司法を健全化するためにぜひやって貰いたいと思ってもいる。しかし、これまでこのようなことを全然といってよいほど行ってこなかった『サンプロ』が、突如ホリエモンを出演させる番組を放映することが私には解せないのである。
ホリエモン現象にマスコミが加担したことは明らかである。『サンプロ』もかなり加担したと思う。ライブドアの株で損をした人がいたとしたならば、マスコミにも若干の責任はある。昨日の『サンプロ』を観ていると、そのエキスキューズをしているような気がしてならなかった。ホリエモン現象を作ったことに責任を感ずるのならば、最初にそのことについての弁明をまず行なうのが筋目というものであろう。その上で、なぜホリエモンを出演させる番組を放映するのか、説明をする必要がある。厳格すぎるという人もいるだろうが、いやしくも報道番組と銘打っている以上、このくらいの見識を求めても良いと私は思っている。他を批判する者は、己をも厳しく律しなければならない。
マスコミにそんなものを求めること自体が無駄だという人も多い。しかし、おおぜいの国民がマスコミから情報を得て政治的な判断を形成することは、否定できない現実である。新聞や雑誌などは、読者が自分で身銭を出して買うものである。産経新聞もあるし、朝日新聞もある。だが、テレビは違う。スイッチを入れれば、勝手に耳目に入ってくるのである。テレビの影響力が大きいなどといっているのではない。この性質の違いを私はいっているのである。テレビ局は、少なくとも放送法で定められた基準くらいは守ってほしいといっているのだ。現在のようなマスコミの状況では、わが国の国民が賢明な有権者になるためには、かなりの努力が必要のようである。私が風邪の悪寒にもめげずに拙いものを書く所以は、その一助になればとの私なりの必死の思いがあるからである。
それでは、また明日。