南無日本国憲法!?
09年05月03日
No.1155
今日は憲法記念日である。昭和22年5月3日、日本国憲法が施行されたことを記念する「国民の祝日」である。毎年この日になると、護憲・改憲の議論が紹介される。だが私に言わせれば、そのいずれも陳腐である。日本国憲法が施行されて62年過ぎた。しかし、いまなお日本国憲法は燦然と輝いている、少なくとも私の中では。南無日本国憲法。私は日本国憲法に帰依するものである。
故障したコンピュータは用済みにすることにした。修理できないこともないのだろうが、こう度々おかしくなったのでは信頼できない。問題のコンピュータは紛れもない「日本製」であった。日本のメーカーの表示はあったが、実際には中国で作っているのだという。新しく使うことにしたコンピュータは設計はアメリカ・製造は中国である。こういうのは「中国製」というのだろう。なんだか少し紛らわしい。それならば最初から中国製と判っているが、丈夫そうで安いコンピュータの方が良い(笑)。新しいコンピュータは軽い。前のモノはとにかく重かった。
昨夜新しいコンピュータが自宅で使えるようになった。コンピュータが故障したことを奇貨として、連休中なので永田町徒然草もお休みを頂戴しようかとも考えた。しかし、憲法記念日を偽ることはできない。それでは南無日本国憲法が泣く。冒頭に「いまなお日本国憲法は燦然と輝いている」と書いたが、私たちは憲法を燦然と輝かせる努力をしなければならない。多くの人々がたゆみない努力をしなければ燦然と輝くことはない。
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。(日本国憲法第97条)
憲法というと“第9条”という人が圧倒的に多い。なにがなんでも第9条という人もけっこう多い。しかし、私にとっての日本国憲法は、なんといっても“基本的人権の尊重”である。日本国憲法の三大原則( 基本的人権の尊重・国民主権・平和主義 )に上下の区別はないと考えるが、国民主権も平和主義も基本的人権を護るために絶対に必要なのである。戦争こそ、多くの人々の基本的人権が蹂躙されるのである。
私は債務整理と共に、人権侵害の刑事事件は積極的に弁護を引き受けている。連休明けにはこの半年間無罪を主張している刑事事件の最終弁論がある。だから連休中もあまりのんびりしている訳にはいかないのだ。最近の警察や検察の横暴な権力行使は目に余るものがある。国民は命がけでこれと闘わないければならない。小沢事件もそのひとつの現われであると私は思っている。民主党はなぜこのような観点から小沢問題を捉えることができないのだろうか。
それでは、また。