“裁判を受ける権利”の形骸化
09年04月26日
No.1152
のんびりとした日曜日である。外は天気が良いようだ。しかし、北海道では雪が降っているという。そのせいか、今朝起きたときにはずいぶんと寒かった。それで再び布団に入って日曜定番の政治番組を見ていたらまた眠ってしまった。日曜日なのだからご容赦の程を。
のんびりとしているが、今日は休んではいられない。明日この半年間取り組んできた刑事裁判の被告人質問がある。その準備をしなければならないからである。被告人質問の時間はわずか30分しかない。それとて努力してやっと確保することができたのだ。最高裁判所は、“開かずの門”と言われている。しかし、最近の高等裁判所の門もかなり重い。刑事事件では特にそうだ。“開かずの扉”といってもよい。第一審重視というが、地方裁判所の審理も形式的になっている。裁判を受ける権利(憲法第32条)は、形骸化しつつある。本当の裁判を受ける権利が国民にはあるのであるが…。
この事件の第一審判決は、懲役3年の実刑であった。私は控訴審からこの事件の弁護を引き受けた。第一審では被告人も弁護人も公訴事実を認めていた。控訴審では、私たちは全面的無罪を主張している。どうみても警察や検察官が主張する事件の筋はおかしいのだ。どう考えても不自然なのだ。証拠もキチンと揃っていない。第一審ならば検察官が提出する証拠を争うことにより問題点を明らかにできるのだが、控訴審ではそれがなかなかできないのだ。手足を縛られて水の中で泳がなければならないようなものである。それが辛く残念なのである。
それでは、また。