終戦記念日
08年08月15日
No.901
今日は63回目の“終戦記念日”である。専門的にいうといろいろな説と呼称があるようだが、私は「終戦記念日」で良いと思っている。公的には1982年4月13日の閣議決定で、8月15日を「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」とされた。この閣議決定に基づいて毎年8月15日に全国戦没者追悼式が行われる。
私は1945年6月22日生まれであるから、終戦の日はまだ生後2ヶ月足らずである。だから1945年8月15日の終戦の日の記憶はまったくない。私たちの世代では、“終戦の日”を知っている者とそうでない者とは画然と区別される。私にように形式的には戦前の生まれだが、“終戦の日”の記憶がない者は戦争を知らない者とみなされる。終戦の日の“玉音放送”を聴いた者には、戦争の実体験があるのである。戦争の実体験がある者は、それなりに戦争を知っている。戦前の生まれでも、玉音放送を知らない者は、戦争が何であるか・平和が何であるか、本当のところ分からないのであろう。
私が子供ながらに戦争の傷跡を体感し、戦争体験者から戦争中のことを聴かされ、それなりに理解できたのは昭和26年頃からである。3~5歳くらいの能力では見たり聞いたりしても、戦争というものを理解することなど無理である。私は子供ながらに戦争のことを知らされたし、戦争の傷跡を至るところで見ることができた。新潟県の片田舎であったが、戦争を美化する者はほとんどいなかった。大人たちは戦争の苦しい辛い体験を私に話してくれた。
私が物心ついた頃、新潟の片田舎はまだ貧しかった。それが戦争に起因するものかどうかは子供の私には分からなかったが、皆んな生きるのに必死であった。そして新しものと古いものとが相争う時代であった。子供心にもそれは感じられた。私の家は古いものをいっぱい抱えていた。しかし、古いものが否応なしに次々と新しいものにのり越えられていくことを見せ付けられた。私の家がもっていた古いものにそれなりの誇りはあったが、新しいものを受け入れることにそんなに抵抗もなかった。
ここでいう新しいものとは“新憲法的な価値観”である。古いものとは“明治憲法的な価値観”である。しかし、どちらも物質的には貧しかった。物質的な力をもたない“明治憲法的なもの”と理想は高くても組織をもたない“新憲法的なもの”との戦いは、他愛無い争いのように子供には見えた。現在の官と民との格差、現在の貧富の差の争いの方がはるかに非情かつ深刻である。“古いもの”が現在まで生き延びているとは思えない。この数十年の間に“新憲法”が予定していないものが新しく生まれてしまったのである。
憲法を改正すべしという国会議員が8割もいるという。彼らが改正しようという憲法とは、“新憲法”である。昭和憲法である。日本国憲法である。“終戦の日”から「新しい昭和」が始まった。“新しい昭和”と“古い昭和”を隔するものは、日本国憲法の制定である。昭和憲法の誕生である。非道・横暴な権力や絶望的・威嚇的な貧富の差など、昭和憲法から生まれる筈がない。誰が昭和憲法を換骨奪胎したのか、誰が昭和憲法を捻じ曲げようとしているのか、改めて追及しなければならない。終戦記念日は、“新しい昭和”の記念日だと私は思う。
それでは、また。