“But not every man's greed.”
08年01月24日
No.687
即写寸言で紹介したように、1月15日国立国会図書館にガンジーの言の原典を調べて欲しいと頼んでおいた。一昨日なんとか探しましたとの電話があった。せっかく探してもらったのだから、“雪”が降って寒かったのだが昨日国会図書館に行ってもらってきた。簡単に分かるとおもったのだが、意外に難しかったようである。
永田町徒然草No.661で紹介したガンジーの言は、別々のところにある次の言であった。
「私は、最大多数の最大幸福という説を信じない。その説は赤裸々に言えば、51パーセントの人が想像する幸福のためには、49パーセントの人の利益は犠牲にされなければならない、というものである。これは無慈悲な説であり、これまで人間性に対して害を及ぼしてきた。唯一の、真に威厳のある、人間的な説は万人の最大幸福であり、これは、極度の犠牲によってのみ達成され得るものである。」
「地球は、すべての人の必要を充足せしめても、彼らの欲を満たしきることはできない。」 もしくは 「自然はあらゆる人の必要に応えることはできる。しかし、あらゆる人の欲望を満たすことはできない。」
国会図書館の職員がこの原典を探すのに苦労したのは、これらの言がガンジー自身の筆になる著作に直截に書かれてある言ではないところにあったようだ。ガンジーといえば、私たちのイメージはインド独立の父だ。インド独立の父といえば、独立運動の指導者である。独立運動の指導者といわれれば、私たちは政治指導者と思いがちである。政治指導者といえば、多々弁じる人間と私たちはどうしても思いがちである。そうだとすれば、著作や文書が多数あると考えてしまう。しかし、ガンジーは私たちのイメージとまったく違うようである。
今回『ガンジー自伝』(マハトマ・ガンジー著、蝋山芳郎訳。1983年、中央公論新社刊)を借りてきた。ほんのちょっと読んだだけだが、ガンジーは自伝を書くことに非常に躊躇したようである。かなり厚い本であるが、私たちが期待する独立運動のハイライトともいうべき時期のことは書いていないとのこと。マハトマ・ガンジーの「マハトマ」とは、“大きな魂”という意味のヒンドゥの聖者に対する尊称のことだそうだ。
「政治の分野で行われたわたしの実験は、今日、インドのみならず、『文明化された』世界にもまたある程度知られている。私にとっては、それらは、それほど大きな値打ちのあるものではない。したがってまた、政治の分野での実験でかちえた『マハトマ(大きな魂)』の尊称はいっそう値打ちの小さいものである。」と、ガンジーは自伝の序文で述べている。
上記の二つのガンジーの言は、ガンジーの最も身近な門弟たちの著作にあるものだという。しかし、ガンジー自身の言葉であることは疑いがないようである。ガンジーはヒンドゥー教徒であり、マハトマとインドの人々から慕われた聖者である。私が浅薄な解説を加えることはできない。その代わり、第二の言の英語の原文を最後に紹介しておこう。かつてのインドはイギリスの植民地であり、ガンジー自身も英語を巧みに話せたことは間違いなかろう。ガンジーが実際に発した言そのままである可能性がある。
“Earth provides enough to satisfy every man's need,but not every man's greed.”
それでは、また。