憲法記念日に誓う
07年05月03日
No.414
今日は憲法記念日である。昭和22年5月3日、日本国憲法が施行された。2007年は昭和82年であるからちょうど施行から満60年ということになる。私は現在の憲法がなければ、今日の繁栄はないと常々思っている。まずは慶賀の意を表わしたい。ところで今日からはじまる4日間は休みという人が多いのではないか。連休後半の始まりである。しかし、私は連休前半にちょっとダラケたので、4日間は缶詰になって原稿を書かなければならない。すべて書き上げることができたら、1日だけでもいいから郷里の十日町市に行って山菜でも頂きたいと思っている。
ところで、昨日はけっこう筆が進んだ。『フォーラム21』に連載中の「創価学会党化した自民党」の終章を書き上げた。ひとつの大きな仕事が“ひとまず”一段落したとの達成感と満足感がある。その中に憲法に関する一文があるので紹介して今日の勤めとさせていただく。実はいままで徹夜でもうひとつの原稿を書いていたのだ。この永田町徒然草をupdateしたらバタン・キューと眠るつもりだ。
困ったことだが、自民党は公明党との連立で安定多数をもったと錯覚し始めた。これは明らかに錯覚なのだ。自民党は、単独では過半数をとる力もいまやないのであるが……。自民党の右翼反動政治家の悲願は、憲法改正である。自民党右翼反動の系譜に育ち、そのような考えをもっている安倍首相は、憲法改正を内閣の課題として打ち出してきた。
また国民のかなりの人たちも錯覚している。公明党は憲法改正には慎重であろうという錯覚である。確かに公明党はそのようなイメージを今なお出している。しかし実際に果たしている役割は、安倍首相の憲法改正の動きを可能にしているのは公明党なのである。自公合体政権の弊害は、ここにもみることができる。
「(公明党が)自民党と連立政権を組んだ時、ちょうどナチス・ヒットラーが出た時の形態と非常によく似て、自民党という政党の中にある右翼ファシズム的要素、公明党の中における狂信的要素、この両者の間に奇妙な癒着関係ができ、保守独裁を安定化する機能を果たしながら、同時にこれをファッショ的傾向にもっていく起爆剤的役割として働く可能性を非常に多く持っている。そうなった時には日本の議会政治、民主政治もまさにアウトになる。そうなってからでは遅い、ということを私は現在の段階において敢えていう。」
これは、いまや創価学会問題の古典ともいえる『創価学会を斬る』の中で、著者の藤原弘達氏が述べていることである。いま日本国民にとっていちばん大きな課題は、自民党の右翼反動が目論む憲法改正をどうやって阻止するかだと思っている。彼らが考える憲法改正を許せば、基本的人権の尊重と民主主義は危殆に瀕することは確実である。そうなったら“まさにアウト”だ。“アウト”にならないように私たちは頑張らなければならない。私がこのサイトでいろいろな意見を述べるのも畢竟そのためである。憲法記念日にそのことを誓いたいと思う。
それでは、また明日。