民為貴、社稷次之。
09年10月30日
No.1330
民を貴しとなし、社稷之に次ぐ。
「民為貴、社稷次之。(孟子)」 人民があって国家があり、国家があってこれを治める君がある。だから軽重をいえば根本である民がいちばん貴いともいえよう。
社(しゃ)は土神を祀り、稷(しょく)は穀神を祭る。人君が国を建てると必ずこの二者を祭るから、「社稷(しゃしょく)」は国家の意となる。< 諸橋轍次著 『中国古典名言事典』 >
孟子のこの言葉は、現在の民主党政権の問題点を遺憾なく突いているような気がしてならない。もちろん自公“合体”政権は孟子のこの教えに反することを行ったから国民の反逆にあった。政権交代が起った最大の原因である。民主党政権だって孟子のこの教えに反すれば、同じ運命を辿ること必定である。要注意、要注意だ。
民主党はこの数年「国民の生活が第一」と言ってきた。孟子風にいえば、「民を貴(たっと)しとなす」ということだろう。政権を取った民主党の閣僚たちが行っていることは、「民を貴(たっと)しとなす」という大原則から見て、果たして問題なしといえるのだろうか。マニフェスト原理主義には則っているかもしれないが、「国民の生活が第一」という原則からみると、すこぶる疑問が残るところが多々見うけられる。
マニフェスト選挙など、いかさまな政治学者が最近盛んに唱え始めたことに過ぎず、歴史の試練に耐えた学説ではない。マニフェスト選挙を金科玉条とする民主党の一部議員は、manifest と manifesto の区別がつかないようである。manifesto とは、「民を貴しとなし社稷(国家)之に次ぐ」というような原理原則の宣言書なのである。「国民の生活が第一」だけなら、少し言葉不足ではあるが、ひとつの立派な manifesto たり得る。
しかし、選挙前に民主党が出した manifesto のパンフレットに書いてある個々の項目など、文字通り manifest(積み荷明細書)に過ぎないのだ。いま問題となっている八ッ場ダム周辺の住民の中にも、民主党に投票した人はいっぱいいると思う。その人たちは民主党が“無駄な公共事業を止める”と主張は知っていても、“八ッ場ダム工事は中止する”と書いてあることなど知らなかった人も多いのではないか。マニフェスト選挙を金科玉条とするのなら、「これからは気軽に投票などできなくなるぞ」と私がいうのは、まんざら冗談でないのだ。
「民を貴しとなし、社稷(国家)之に次ぐ」という考えは、自由主義の政治思想にも似ている。自由主義の政治思想は、個人の幸せや利益を最大限尊重しようという考えである。日本国憲法の言葉を借りれば、“基本的人権の尊重”である。基本的人権の尊重が日本国憲法の第一義であることくらいは、民主党議員も知っているであろう。民主党政権が誕生したのに、“職務質問”や“裁判員制度”など基本的人権に関係する諸問題について、法務大臣や国家公安委員会委員長から一言も無いというのも不思議である。夫婦別姓問題などより、はるかに緊急かつ一般的な問題だと私は思っているのだが…。
今日はこのくらいにしておこう。それでは、また。