造反有理の推定
07年02月06日
No.328
法律には、「○○と推定する」というのと「○○とみなす」というふたつの規定がある。「被告人は無罪と推定される」ということは、多くの人が耳にしたことがあるだろ。だが憲法や刑事訴訟法にはそのものズバリの規定はない。フランス人権宣言(1789年)9条は、「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」と規定している。同時死亡の推定というのもある。
民法32条の2の「死亡したる数人中その一人が他の者の死亡後なお生存したること分明ならざるときはこれらの者は同時に死亡したるものと推定す」が、同時死亡の推定といわれるものである。本条は、数人の者が何らかの原因で死亡し、その先後が明らかでないときは、同時に死亡したものとして取り扱うという。同時死亡の推定が覆されない限り、同時に死亡した者相互では相続は生じないし(ただし代襲相続は認められる。民法887条2項)、同時に死亡した場合に遺贈は効力を生じない(民法994条1項)など大きな法律的効果をもたらす規定である。
要するに、あることを明確に否定する事実が証明されない限りあることを法律的に認めることをいう。無罪の推定では「有罪判決が宣告されるまでは、被告人は無罪である」、同時死亡の推定では「Aなる人物がBなる人物が死亡した後も生存していたことが明確に証明されない限り、AとBは同時に死亡した」と法律的に認めるのである。「無罪であるかどうか分らないが無罪と推定する」ということではないのである。有罪判決が宣告されるまでは、被告人は無罪なのである。被告人はそのように取扱わなければならないのである。一見同じようだが、これは異なることを意味する。
「○○とみなす」という規定は、あることを法律的には○○とすることをいう。刑法245条には「この章(窃盗および強盗の罪)については、電気は、財物とみなす」と規定する。電気が財物といえるかどうかは意見は分かれるかもしれないが、この章においては財物とすることを意味している。財物であるテレビを壊せば器物損壊罪になるが、何らかの方法で電気が通電しないようにし(すなわち電気という財物を毀損し)テレビがみられないようにしても器物損壊罪にはならない。なぜならば器物損壊罪は窃盗や強盗の章にはない犯罪だからだ。もっともテレビのコードを切断するなどした場合は、コードという財物を損壊しているので器物損壊罪になることにはなるが……。
基本的人権は、権力などが個人の生命・身体・精神の自由や財産権を侵すことに対して、その個人を守る根拠となる諸規定である。ある個人が基本的人権を侵された・あるいは侵されようとされたとクレームをつけた場合、権力は基本的人権を侵さなかったという明確な証拠を提示しない限り、基本的人権を侵したと認定されるようにする必要があるような気がしてならない。
ある事実(ここでは基本的人権を侵すという行為)がなかったことを証明する証拠は一般的にはないといわれている。しかし、公権力の行使が適正に行われたことを示すことはできるし、公権力には示す義務がある。そのために公権力の行使が適正に行われたことを証明する証拠を残すことはできるし、そのことは必要でもある。国家権力などというものは、少し油断をすればいつも個人の生命・身体・精神の自由を侵そうとするものだという根本的な不信から近代自由主義の政治は出発した。そうだとしたら造反有理の推定というものがあっても良いような気がする。憲法改正問題講座の原稿を書いていてこのようなことが頭に浮かんだ。この点はもっと掘り下げて考えてみたいと思っている。
それでは、また。