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FORUM21 2007年3月1日 通巻121号
創価学会党化した自民党 ─ 4
反自由的で非民主的となった自民党
白川 勝彦 (元衆議院議員)
創価学会の第二の特質
私がこれから論じようとするテーマは、「創価学会党化した自民党」である。
創価学会ウオッチャーは創価学会の第二の問題点として以下のようなものを挙げた。言論封殺、反人権、権力主義、上意下達、中央集権、大衆蔑視、独裁者崇拝、議会制民主主義否定などなど。私はこれを要して「反自由にして非民主的な体質」と呼びたい。
創価学会党の本家である公明党にはこのような体質が見事なまでに備わっていることは国民の多くが知っているところである。それでは創価学会党化した自民党では、この点はどうであろうか。
最近の自民党は、公明党に比べてもそんなに遜色のない反自由的で、非民主的な政党となってしまった。そして恐ろしいことは、自民党が反自由的で非民主的な社会や国を作る先頭に立っていることである。
“不自由非民主党”との嘆きが…
「最近、自民党の若手議員のなかには、自民党とは“不自由非民主党”の略だと自嘲気味に言う人が多くなりました。その人自身が不自由非民主党でもいいと思っているのなら、それでもかまいません。しかし、それならば自由民主党と名乗るのはやめてもらわなければなりません。混乱のもとです。もっとも、人間は自分にないものを名前につけたがるものだと言う人もいます。自由で民主的でないから、せめて名前だけでも自由民主党。公明正大にやれないから、公明党。一面の真理かもしれません。」
これは私が2001年5月に発刊した拙著『自民党を倒せば日本は良くなる』の一節(同書26頁)である。この時点で私はすでに自民党を離党していた。その私に対して多くの自民党の若手議員が“不自由非民主党”という言葉を使って当時の現状を嘆いた。それまで私はそのような表現を使って、自由や民主性がないことを非難したり嘆いたりことを聞いたことはなかった。
私はそれまでも党執行部などに平気で抵抗してきたし、闘いを通じてそれなりに心身ともに頑強な政治家として鍛えられてきた。そして加藤の乱が起きた時には国会議員でなかったし、加藤派鎮圧を党内で直接受けた訳ではない。良きリーダーを失った若い政治家に私と同じように行動せよという方が無理なのかもしれない。その当時から自民党は、不自由で非民主的な党になり始めていたのだ。
なぜ反自由的な政党になったのか
自分勝手党と揶揄されることはあったが、不自由非民主党などと自嘲気味にも呼ばれなかった自民党が、そうなったのには二つの理由が考えられる。そのひとつは、小選挙区制の導入により選挙において党執行部の権限が大きくなったからであろう。もうひとつは、公明党との連立がもたらした弊害であろう。
第一の理由を私は故なしとしない。しかし、それのみを理由とすることにも反対である。小選挙区制を採用しているアメリカやイギリスでそのようにはなっていないからである。
やはり連立の相手である公明党の特異な体質が影響していると考えざるを得ない。最初のころは、不自由程度だったのかもしれないが、連立を組んで10年以上経つと、不自由を通りこして「反自由」と表現した方が良いという段階まで来たというべきであろう。
自由主義を基本的理念としない公明党が、国民の自由について鈍感で敵対的な政策を採るのはそれ自体そんなに不思議なことではない。しかし、曲がりなりに自由主義を指導理念として標榜している自民党が国民の自由=基本的人権に対して鈍感かつ敵対的な政策を採用することは許されない。
自公合体政権と官僚との癒着
官僚というものは本質的に反自由的なものである。それは古今東西の官僚の通弊である。わが国の政治がいまなお官僚に強く支配されていることは、国民の共通した認識である。国民の代表たる政権党が官僚の反自由的なところをチェックしない限り、官僚の立案する法律や政策は反自由的であり、非民主的なものとなることは当然の成り行きである。
民主主義体制の国では、官僚は自ら政権を組織することはできない。従って政権を組織しそうな政党に擦り寄り、さらにはこれに寄生して官僚の地位と権限と組織を増殖しようとする。
官僚にとっていちばん相性がいいのが、反自由的で非民主的な政党である。すなわち創価学会党は、官僚が望む政党なのである。創価学会党の本家本元の公明党と創価学会党化した自民党が組織する政権の下で、政党と官僚の癒着が進むのは当然の帰結なのである。
党内のリベラル派を抹殺した自民党には、自由主義の立場から官僚の立案した法律や政策をチェックする能力はなくなってしまった。国民はこの現実を知らなければならない。それでもあまりにもひどい場合には、自民党のリベラル派が一定の歯止めをかけてくれるだろうとの幻想を抱くことは危険である。党内のリベラル派はすでに完全に殲滅させられたからである。
自民党の長期政権の秘密
自民党の総裁は、党の代表であり責任者である。それは過去も現在も変わらない。しかし、小泉純一郎という自民党総裁は独裁者として行動し、自民党の国会議員や党員はこれを許容するばかりか、熱狂的に歓迎したのである。これまでにも大きな力をもった総裁や実力者はいたが、自民党はその人が独裁者として振舞うことを許容しなかっし、歓迎することなど決してなかった。
大きな力をもった総裁や実力者に対して果敢に挑戦する者がいつの時代も常に存在していた。その挑戦者が勝ったか負けたかはこの際あまり重要なことではない。党の権力者を批判する者が党内に常に存在していたことに意味があるのである。
大きな力をもつ総裁や実力者に挑戦する者は、敗北するケースが多かったことは事実だが、いつかはその存在が大きな役割を果たすことも多かった。振り子の原理による擬似政権交代と呼ばれるものだ。このようなシステムを意識的か無意識的か知らないが自民党が党内にもっていたことが、長い間政権党でいられた大きなカラクリなのである。例えば金権批判で退陣を余儀なくされた田中首相の後継者に、“晴天の霹靂”で三木武夫氏が指名されたことはその典型として多くの人が知るところである。
1993年の総選挙で野党になった自民党を、1年足らずで自社さ連立政権で政権党に復帰させたのは、保守リベラルといわれてきた私たちだった。護憲をレーゾン・デートルとする社会党との連立は、憲法改正を声高に叫ぶ自主憲法制定派が主導権をもつ自民党では構想もできなかったであろうし、実現させることは決してできなかったであろう。
独裁者が指名した後継総裁
小泉氏の後継総裁に安倍晋三氏がなれた最大の理由は、当時独裁者として自民党に君臨していた小泉純一郎総裁が陰に陽にあらゆるテクニックを使って事実上安倍氏を指名したからである。
総裁選は確かに行われたが、最初から党内でもマスコミでも消化試合と揶揄されていた。小泉首相の“ 改革路線”に対して明確なアンチテーゼを提起する候補者は立候補することすらできなかった。
自民党には田中角栄支配といわれる時代がかなりあった。私の国会議員としての前半の活動は、この田中支配から自民党を解放することにあったといっても過言ではない。その時代でも、今回のような気の抜けた総裁選はなかった。
2006年の総裁選を観ていて私が感じたことは、委員長選挙を1回もやったことがない公明党の党首選びと一体どこが違うのだろうかということだった。私にはその差異は見出せない。政治的にはまったく評価する経歴も材料もない安倍晋三氏に、党内の国会議員が我も我もと先を急いで群がって行くのは、おかしかったというより不気味だった。
小泉氏は独裁者として振舞った。これに反対する者には刺客が放たれ、抹殺されたのが郵政解散選挙だった。小泉劇場と呼ばれた政変劇である。刺客を志願する者が多くいたし、これを歓迎する多くの国民がいたことを私たちはこの目で観た。
このような政治的ビヘイビァーを見て、近隣の諸国がわが国に対して恐怖の念を抱いたのは、私は想像に難くない。わが国の軍事独裁政権に蹂躙されたアジア諸国が、わが国に対する警戒感をなかなか捨てきれないのは、実はこんなところにあるのではないか。
わが国民には独裁者を好む性癖があるのかもしれない。自由を愛し、民主体制を望む者は、このことを常に自重自戒しなければならない。
安倍首相は、独裁者であった小泉首相が事実上指名した後継者である。安倍氏が独裁者となれるかどうかはいまのところ不明である。業績が芳しくなければ、安倍首相は自民党の独裁者にはなれないであろう。しかし、自民党という政党の国会議員や党員が独裁者を許容し、いい方を変えれば独裁者を望む体質が多分にあることを私たちは忘れてはならない。
党運営は国家運営のモデルである。
政党の運営の仕方を国民はよく観ておく必要があると私は考えている。なぜならば、政党の運営の仕方を観ているとその政党が政権をとった場合、同じような仕方で国家を運営するからである。
共産党政権の国では、共産党の体質を反映した国家運営がなされていた。このことは多くの人々が知っているところであろう。これは共産党政権の国だけにいえることと私は思っていない。
自由主義国家には、健全な自由主義政党がなければならない。わが国の憲法は世界に冠たる自由主義憲法だが、わが国が世界に冠たる自由主義国家かと問われたとき、自信をもってそうだといい切れる人が一体どのくらいいるだろうか。それは長い間政権を担当してきた自民党が健全な自由主義政党でなかったところに原因を求められる。
党内リベラル派を殲滅した自民党に、自由主義者と呼べる人が一体どのくらいいるのだろうか。私は自らの体験に照らして、それは“木に登って魚を求める類だ”と考えているが、甘い幻想を抱くことだけは危険だとあえて忠告しておく。
公明党は、創価学会党の本家本元として見事なまでに反自由的であり、非民主的な党である。そして選挙協力を餌に、公明党は自民党に対して創価学会党たる特質を強く求めているだろう。党内の実力者を批判したり対抗することを止めた自民党の国会議員が、肉食動物のとしての牙をもつ公明党のこのようなプレッシャーに抵抗するとは私には考えられないのである。
自民党は今後ますます反自由的になり、非民主的になっていくであろう。私はその例をあえて指摘する必要を認めない。多くの国民がこのことを随所で感じていると思うからである。
今は昔 ─ 自分勝手党
自分勝手党などと揶揄されたころには、まだ健全な自由主義政党になる一縷の望みはあった。少なくとも私は自分勝手党の中に20数年間いて、自由闊達に行動した。それが許されたし、そのような者が所属する派閥から党の指導者=総裁や幹事長が何度も出た。大手を振って歩いていたかどうかは別にして、肩身が狭い思いをしたことはまったくなかった。
そのような党風の中で、自民党は国民世論を反映する党の運営や政策をある程度実行せざる得ないシステムを党内にもっていた。自分勝手党の時代ならば、刺客作戦など決して成功しなかったであろう。“私は偉大なるイエスマン”と臆面もなくいうおかしな幹事長は決して現れなかったであろう。
昭和20年代の自由党(自民党の前身)の除名騒動などがあった激しいバトルは、書物の中でしか私は知らないが、昭和55年のハプニング解散は実際に私はこの目で観た。大平内閣の不信任案に賛成した候補者もほとんど当選した。中選挙区制だったからと片付けることはできないであろう。日本風にいえば判官贔屓、中国風にいえば造反有理、アメリカ風にいえば反デクテイター(dictator=独裁者)ということであろうか。いずれの国においても独裁者は嫌われてきた。
しかし、公明党と自民党には独裁者がいるか、あるいは独裁者を求める体質があるということに私たちは注意しなければならない。自民党と公明党が合体して組織する政権(私はこれを“自公合体政権”と呼ぶこととする)を握っている、正確にいえば国民が握らせていることを、私たちは忘れてはならない。