災害が起こった直後の人命救助や、二次災害を防ぐための緊急の対策を行なった後に求められるのは、電気・水道やガスなどのライフラインの早期復旧であり、緊急に、社会生活や地域産業を支える道路などのインフラを復旧すると同時に、被災した人々の生活を支えなければなりません。今回のように、避難所で生活する人が多く、かつ避難が長期化すると、その対策も、多面的な配慮が求められます。
こうした災害対策も、災害の規模が大きな場合、戦場のようになります。市町村の職員は、不眠不休で従事しなければならなくなります。地元の消防団なども同じです。自分自身も被災しているのに、一心不乱に災害対策に従事するこうした人たちには、本当に頭が下がります。近年、ボランィア活動が盛んになり、こうした災害支援に多くのボランィアが参加してくれることは、被災地にとってたいへんありがたいことです。地元のボランィアや遠来からのボランィアを含めた、すべての人々の力を集約して災害対策の指揮を執るのも、市町村長です。市町村長には、多方面におけるリーダーシップが求められるのです。
新潟県中越地震では、余震が他の地震に比べ長く続いたために、多くの人々が車の中で夜を過ごし、また長期間の避難所生活を余儀なくされました。十日町市などでは電気は比較的早く回復しました。専門家によれば、倒壊を免れた家屋も多くありました。本震に耐えた木造家屋は、余震で倒壊する惧れはまずないのだそうです。ですから、部屋の家具や荷物などを整理し、また避難口を確保しておけば、意外に自宅の生活は安全だといいます。こうした専門的知識を知らせることも大切だと思います。
十日町市では、電気が復活しても、水道が一週間くらい回復しなかったために、非常に多くの方々が避難所で生活しました。しかし、水道が回復すると、自宅で生活する人が多くなりました。十日町市は都市ガスでないため、いちばん復旧に時間がかかるガスは、幸いにも直ぐ使えました。日常生活を支えるのは、電気・ガス・水道・電話ということが、これをみてもよく理解できます。まさにライフラインなのです。被害が大きかった小千谷市で聞いたことです。水道がなかなか回復しないので、街中にある消雪パイプの水で食器を洗ったり、水洗トイレを使ったそうです。消雪パイプが、意外なところで役立ったのです。
皆さん避難所生活がかなり長かったために、食事には本当に困っておいででした。おにぎりとカップラーメンだけでは、3日もすると、ほとほと参ってしまいます。食べることは、元気の源です。心身ともに疲労困憊したときこそ、元気の出る食事が大切なのです。スーパーやコンビニで、ちゃんとした食べ物や食材を売っていてくれるのは、当たり前のことのように思えて、実は本当にありがたいことなのです。十日町市の場合、関東方面・長野県・上越市・柏崎市からの道路は大丈夫だったのですが、こうした商品が店頭に並ぶのに、思いの外時間がかかりました。街中にある食堂の再開も、存外に手間取りました。水道が使えないのと、材料が入荷しなかったのが原因でした。
被災現場を回りながら私が痛感したのは、平常な社会生活を一刻も早く回復させることが、いちばんの災害対策だということでした。そういう意味では、先に述べたように、避難所生活をしなくてもいい方々が、日常の生活を営めるようにすることですし、店舗を再開できる方々が、1日も早く営業できるようにすることです。援助物資に頼らなくても生活できるようにすることこそ、もっとも大切な災害対策なのです。必要なものが殊のほか手に入らないということをうかがった時、紀伊国屋文左衛門のことが頭に浮かびました。被災した人々がいちばん求めているのは、普段はなんともない平常の、日常生活なのです。
被災地では、緊急の災害対策を行ないつつ、同時に、本格的な災害復旧も行なわなければなりません。公共的なインフラの復旧については、国や県や市町村などが担うことになります。今回の被害の大きさを考えれば、補正予算を組むことなく復旧できる訳がありません。財務省が最後まで補正予算を組むのに難色を示したことに、被災地は危惧の念をおぼえました。「国は、本気で災害復旧してくれないのではないか」という不安です。こういうことが、被災地の人々を不安にするのです。せめて災害が起きた時くらい、温かいものが感じられる政府でなければ、国民はやりきれません。
被災した個人にとっての最大のインフラは、何といっても住居であり、店舗であり、工場などです。これらの復旧・再建は、公的助成措置があるといっても、基本的には、個人の責任で行なわれなければなりません。これは、被災者にとって、重い負担になります。この面に対する支援がなければ、被災者は救われないのですが、ここに最大のネックがあるのです。それは、個人財産に対して公の支援はしないという大原則です。
災害を目の当たりにした時、誰もが、せめて住宅の再建くらい公の力でなんとかならないものかと思います。小さな災害なら、国の予算からみれば、そんなことは何でもないことです。しかし、ここに原理原則が出てきます。“税金は個人の財産形成のためには使えない”という大原則です。「そんなことをいったら、個人の財産である田畑に税金を投入することはどうなんだ」という議論も出てきます。少なくとも、建物の現存価格くらいの支援には、国民の合意は得られると思うのですが、この点が、どうしてもダメなのです。
このことを昔、仲間とともに議論した時に、大蔵省(現財務省)の役人がいいました。関東大震災規模の大地震が起こったとき、国はこれを全部カバーできるだろうかということです。国家財政が破綻してしまいます。個人財産の形成に税金を投入できないという大原則の本当の理由は、ここにあるのだと思います。確かに難しい問題で、一般の災害の場合は、住居の再建のために税金が投入されるのに、関東大震災規模の大災害になると救済されないというのでは、公平さを欠くことになります。しかし、こうした問題に断を下すのが政治家だと思うのです。そこに国民は救いを見出すのです。今回の新潟県中越地震について、最終的にどのような措置がとられるのか、小泉首相の政治的姿勢が試されます。
それでは、被災住宅に対する公的支援措置はどうなっているのか、現状をみてみましょう。
1953年の災害救助法の改正により、「災害にかかった住宅の応急修理」費が、災害救助として支給されます(同法23条1項6号)。その金額は、大規模半壊と半壊の住宅に対して、60万円です。全壊の住宅は、応急修理の対象になりませんから支給されませんし、一部損壊の場合も支給されません。その代わり、収容施設(応急仮設住宅を含む)の供与が、災害救助として受けられます。応急仮設住宅の建設には400万円くらいかかります。新潟県中越地震では、新潟県が国の災害救助の額に大規模半壊に対して100万円、半壊には50万円上乗せして支給することを決めました。
1998年以前は、被災住宅に対する公的支援は、これしかなかったのです。阪神淡路大震災を契機に、被災者生活再建支援法が制定されました。これによって「自然災害により住宅が全半壊した世帯に対する住宅再建支援金」が支給されることになりました。その金額は、全壊が300万円、大規模半壊が100万円です(平成16年4月1日以降の災害。それまでは、生活支援金として100万円が支給されるだけでした)。半壊または一部損壊の場合は、支給されません。新潟県は全壊および大規模半壊に100万円を上乗せし、半壊に対しても50万円支給することを決めました。この上乗せ分は、新潟県が3分の2、市町村が3分の1を負担します。
この住宅再建制度には、大きくいって二つの問題があります。ひとつは、国が支給する住宅再建支援金は、建物の解体・撤去や当面の家財道具調達などに使途が限られ、家屋の新築や補修そのものの費用は対象外とされていることです。どうしてこのような使い勝手の悪い制度を作ったのか、理解に苦しみます。きっと、例の大原則にこだわったのでしょう。
確かに、被災した建物の解体・撤去には、かなり費用 ─ 300〜400万円くらいはかかるのです。ですから、一見、被災者に大きな支援となるように思われます。しかし、阪神淡路大震災の場合、被災した住宅などの解体・撤去は、国が国費で直接行ないました。従って、阪神淡路大震災の時には、このような公的支援制度はなかったのですが、事実上国が負担したので、被災者はこのような費用を必要としませんでした。いつも取壊し・撤去費用を国が負担するとは限らないので、これを公的支援制度としたのですが、私は、あまり大幅な前進とはいえないと思います。
もうひとつは、全壊・大規模半壊・半壊・一部損壊などの認定です。新潟県では、延べ床面積の20%以上50%未満が壊れた場合が「半壊」、50%以上70%未満が壊れた場合に「大規模半壊」とするなどの基準で算出していますが、大規模半壊や半壊の場合、実際には、“補修によって住めるようになるのか”という疑問があります。火災などでも問題になるのですが、半焼の場合、保険会社は半額くらいしか保険金を出しませんが、消火活動で家の中はびしょびしょになり、ほとんどの場合、取り壊さなければならないのが実状です。先に挙げた支給金も、大規模半壊や半壊の住宅を補修する場合には出るのですが、補修をあきらめ新築する場合には、支給されません。
最後に、重要なことですが、災害救助法と被災者生活再建支援法の公的支援(これに上乗せする県の補助を含む)には、いずれも所得による制限があることです。原則として、所得金額が500万円以下の世帯です。世帯主が45才以上または要援護世帯にあっては700万円以下、世帯主が60才以上にあっては800万円以下です。
以上が、新潟県中越地震で住宅に被害を受けた被災者に対する、国および新潟県などが行なう公的支援措置のあらましです。地震発生から1ヶ月以上経ち、住宅の本格的補修や再建を真剣に検討し始めた被災者は、実のところ、戸惑ったり、失望させられています。新聞等で、全壊の場合400万円の公的支援があると報じられたのに、いざその支援を受けようとすると、色々な制約があって、実際には利用できない人々が多いからです。
ここに、ひとつの例外があります。平成12年10月6日に発生した鳥取県西部地震の被災者に対して、鳥取県が行なった被災住宅に対する公的支援です。当時は、前項でのべた被災者生活再建支援法の「自然災害により住宅が全半壊した世帯に対する住宅再建支援金」制度がありませんでした。従って、住宅の被害に対しては、災害救助法による「災害にかかった住宅の応急修理」費が51.9万円が支給されるだけでした。鳥取県は、以下のような県独自の被災住宅に対する支援制度をつくりました。
- 住宅復興補助金
- 概要
鳥取県西部地震により自ら居住する住宅に被害を受けた被災者の居住の安定を図り、地域への定住と被災地の復興に寄与することを目的として、被害を受けた住宅(以下「り災住宅」という)の建設・補修、液状化建物復旧および石垣・擁壁の補修を行う被災者に補助を行う市町村に対して補助金を交付するもの。
- 事業の対象者
り災住宅を所有する被災者または当該被災者と同一の世帯に属する被災者で、り災住宅に代わる住宅の建設・補修、液状化建物復旧および石垣・擁壁の補修等を行う者。
- 補助対象限度額
市町村が被災者に対して、県の補助金額を超える補助を行う場合において、次のとおり県はそれぞれの区分に従い補助を行う。
なお、各補助対象範囲および市町村の負担割合は、市町村の実情に応じて市町村が定める。
[住宅建設]
補助対象限度額 300万円
補助率 県3分の2
* 市町村は、補助対象金額の3分の2を超える補助金を被災者に交付
[住宅補修および液状化建物復旧]
補助対象限度額 150万円
補助率 補助対象経費が50万円以下の場合→県2分の1
補助対象経費が50万円超150万円までの場合
50万円以下 →県2分の1
50万円超150万円 →県3分の1
* 市町村は、補助対象経費区分に応じて、それぞれの補助対象金額の2分の1および3分の1を超える補助金を被災者に交付
[石垣・擁壁]
補助対象限度額 150万円
補助率 県3分の1
* 市町村は、補助対象金額の3分の1を超える補助金を被災者に交付
- 利子補給・融資
- 住宅金融公庫等の災害復興住宅融資を受けた者への利子補給
住宅金融公庫等の災害復興住宅融資を受けた者に、当初6年間、2.1%以内の利子補給を行う。
- 鳥取県災害復興住宅建設資金の融資および利子補給
住宅金融公庫等の融資を受けた者に当初6年間無利子となる上乗せ融資を行う。
<以下、省略>
若干分りにくいところがあるかも知れませんが、ありていにいえば、「住宅を再建する場合、県と市町村があわせて300万円を支給する」ということです。もちろん、それだけでは住宅を再建することはできません。住宅金融公庫等から融資を受けた者に、利子補給と、無利子の上乗せ融資を行うというものです。そして、注目しなけらばならないのは、この制度に全壊半壊などの区別も所得制限も、一切ないことです。
鳥取県が、国にもないこのような制度をなぜ作ったのか、考えなければなりません。鳥取県西部地震の被災地には過疎地域が多くあります。過疎地域にとっては、地震を機にその地域を離れる人がでてくることは、深刻な問題です。過疎集落においては、集落そのものが崩壊することさえあります。鳥取県西部地域にはそのような事情があったので、この制度を作ったのです。
「住宅に被害を受けた被災者の居住の安定を図り、地域への定住と被災地の復興に寄与することを目的として」というところに、鳥取県がこの制度を作った必要性と心意気が示されています。「地域への定住」を支援することは公益性がある、との信念が窺われます。もちろん、この制度を作るにあたっては、財務省などから強い反対があったことは、いうまでもありません。しかし、片山善博鳥取県知事は、地域への定住を支援することの公益性を主張して、この制度を作ることを決断したのです。私は、高く評価します。
片山知事は、自治省の官僚出身です。平成8から9年にかけて、私が自治大臣を務めていた時、片山氏は固定資産税課長でした。自治省には、当時20人くらいの課長がいました。中央省庁の仕事というのは、課長が中心になって行っています。ですから、大臣は課長と仕事をすることが多いのです。片山課長は、非常に存在感のある有能な課長でした。栴檀は双葉より芳しということなんでしょうが、不明にも、片山氏が鳥取県知事になられるとは、思いもしませんでした。
「政治家は災害にどう対処すべきか」「政治的な決断をしなければ、災害に適切に対処することはできない」というのが、この小論のテーマです。片山知事が行った政治的決断は、まさに、政治家であり政策通でなければできないことです。今回の新潟県中越地震でも、関係する政治家がいくつかの政治的決断をしなければ、被災者が本当に救われることはないでしょう。何かにつけて構造改革という小泉首相が、新潟県中越地震の災害対策に、文字通りの構造的改革を決断することを期待してやみません。
被災者にとってもっとも切実な住宅の被害に対する公的支援は、詳しくみれば、残念ながら被災者を満足させるものでもなければ、勇気づけるものでもありません。ましてや、店舗や工場などとなると、低利の融資制度だけというのが現状です。しかし、現在は低金利時代ですから、低利の融資といっても、あまりありがた味のある、被災者を勇気づける支援制度とはいえません。多くの被災者は、もう一歩踏み込んだ支援制度を求めています。
新潟県中越地震の被災地は、人口が伸び悩んでいる地域です。川口町や山古志村は、過疎の町村です。鳥取県の西部地域とそんなに変わりません。人口の減少を食い止めることは、地域の最大の政治的課題です。それだけに、雇用の確保は極めて大切なことであり、これ以外には、人口の減少を食い止める方法はありません。しかし、店舗や工場などが倒壊したり機械設備が破損したために、廃業に追い込まれるお店や会社が相当数あります。地域にとっては、たいそう深刻な問題です。地域産業を守り、地域への定住を確保するという公的利益を考えれば、店舗や工場などの被害に対しても、それなりの公的支援制度を摸索しなければならないと、私は思います。
地域の大きな病院も、地震の被害にあったため、入院患者の多くが遠くの病院に転院させられました。もちろん最優先で応急補修をしていますが、医療サービスが十分確保できないことは、いうまでもありません。介護や福祉サービスにもいろいろと支障がでてきています。被災地はまもなく深い雪にみまわれます。現在は何とか可能なものでも、深い雪のためにできなくなることも多くあります。ですから、政治的決断をもって、いま、実行しておかなければならないことが多くあるのです。新潟県中越地震に関係する政治家の、果断かつ迅速な決断を心から願っています。
地震は、あらゆる方面に被害をもたらしています。店舗を再開したものの、お客はさっぱりこないというのが商店街の現状です。飲食店などは、ほとんど商売にならないと嘆いています。今年の忘年会などは、ほとんどキャンセルされているそうです。南魚沼郡湯沢町や東頚城郡松之山町の温泉街は、90%ちかくキャンセルがでています。私が地震に遭遇した当間高原リゾートのホテル・ベルナチオは、建物などにほとんど被害がなく、営業にもまったく支障がないのですが、予約のほとんどがキャンセルされました。現在は、地震で疲労困憊している地元の人たちに1日も早く元気になってもらいたいと、格安料金で開放しています。こうした被害も甚大です。
最後に、復旧と復興について述べます。復旧とは、基本的には災害で被害を受けたものを以前の状態に戻すことです。復興は、必ずしも以前の状態に戻すことではありません。復興は、災害前の状態に戻すことを超えて、本来あるべき状態を作ることです。復興は、災害を受ける前より良い街や生活環境や活気に満ちた地域経済を作るものでなければなりません。災い転じて福となったと思えるような、各種の再建や変革が復興です。復旧や復興のために、いちばん必要なのが「地域の振興ビジョン」です。
「地域再生のビジョン」なくして、本格的な復旧─まして復興を行うことは、決してできません。いま、日本の地方は、どこも明るい「地域のビジョン」を抱くことができずに、苦悩しています。政府にも大きな責任があります。中央依存に慣れ、独立自尊の気概を失った地方にも、反省すべき点はあります。地域再生のビジョンを高く掲げることこそ、政治家の責任です。明確な地域再生のビジョンを高く掲げ、断固たる決意で復旧と復興に取り組む政治家こそ、大きな災害を受けた地域に、特に必要なのです。国であれ、地方であれ、真の政治家の出現がいまほど求められている時はないと指摘し、とりあえず、この小論の筆を置きます。