私の創価学会3部作(『システムとしての創価学会=公明党』『シンジケートとしての創価学会=公明党』『カルトとしての創価学会=池田大作』)を既に読まれた方はお気づきかもしれませんが、最初の2作(『システムとしての…』『シンジケートとしての…』)と3作目の『カルトとしての…』とは、かなり切り口が違っています。
原稿を書いていた最中はさほど意識もしなかったのですが、いま、自分で改めて読み比ベてみても、両者の作品の間にある違いというか、温度差に思わずびっくりします。それは、前2作が1999年中に書かれたものであるのに対し、3作目の『カルト』は2000年に入って執筆したため、その間にタイムラグがあって、そうした中で、さらに取材を進める過程で、自分なりに「創価学会・公明党=池田大作」に対する視点が深まっていった側面もあるかと思います。
1、2作目の『システム』と『シンジケート』は、主として「果して創価学会とは、宗教団体なのか、政治結社なのか」という、従来の視点からのアプローチでした。しかし、3作目の『カルト』は、そこから先に一歩、踏み込んで、「創価学会が宗教団体というより、カルトそのもの」という分析がメインになっています。
この連載では、「創価学会のカルト性」ということにウエートを置いて、さらにわかりやすくかみ砕いて説明していくつもりですが、先に結論をひとことで言うと、「カルト」とは「宗教の仮面をかぶった全体主義」、ということになります。
そして、もう少しあけすけに言えば、池田大作は「天下取り」、つまり、権力奪取のために「宗教」が持っている外形的なメリット(例えば、宗教法人法で保証されている宗教法人の優遇税制など)を最大限利用(悪用)することで、「宗教」を「政治」に従属させ、「宗教」そのものをねじ曲げてしまった。そこから「カルトとしての創価学会」が始まった、というのが私の分析です。
この「カルト」問題の研究が大きく進んだのは、実は最近のことです。
わが国でも、そして、世界的にも「カルト」という言葉が、広く“市民権”を得る決定打になったのは、あの1995年3月の、オウム真理教による地下鉄サリン事件だと思います。早朝の都心部、それも国家権力の中枢である霞が関をメインターゲットに、毒ガス・サリンをばらまいた無差別テロ事件に、私たちはとてつもない恐怖を感じました。
さらに、逮捕された麻原彰晃以下、教団幹部らによって、ロシアからヘリコプターなどの武器を買いつけたり、グルに対する絶対的な忠誠を誓わせるため、水中に沈めるなどの体罰を与えていたこと、また、オウム問題を追っていた坂本堤弁護士一家を拉致、殺害するなど(あと、麻原彰晃は池田大作ポア計画も練っていますが)、びっくり仰天の連続でした。
もちろん、この事件は日本国内でももの凄い波紋を広げ、特に永田町的には、宗教法人法の改正論議とも合わせ、池田センセイの国会証人喚問という“政争の具”にまで発展しましたが、実はこのオウムの事件を深刻に捉え、カルト対策に向けて本腰を入れたのが、欧州、とりわけフランスだったのです。
もともとフランスでは、民間レベルでカルトにのめり込んでいった信者の相談機関があり、そこには20年ほど前から、統一教会やエホバの証人、そして創価学会に入ってしまったことで、家族と音信不通になったり、法外な御布施を請求されたという悩みが寄せられていました。
ところが、冷戦構造が崩壊した1990年代に入ってから、集団自殺を起こした太陽寺院事件、FBIとの銃撃戦の末、建物に火を放って、これもまた集団自殺をしたブランチ・ダヴィディアンの事件が起こりました。
それまで、「カルト」(※フランス語ではこの「カルト」に相当する言葉を「セクト」と呼んでいますが、本稿では基本的に「カルト」という言葉に統一します)とは、「特定の教祖とその教えに熱を上げる小さな集団」という意味合いで使っていましたが、これらの連続する猟奇的事件の前では、従来の「異端の新興宗教グループによる逸脱行動」といったレベルでは、到底、収まらなくなってきます。これに追い打ちをかけたのが、あのオウム真理教の無差別テロ事件だったわけです。
こうした時代背景を受け、フランス国民議会(下院)の調査委員会がまとめ上げ、1995年12月に採択された報告書が『フランスにおけるセクト(=カルト)』です。
この報告書は、フランス国内はもとより、アメリカ、日本においても、カルト問題を考える重要な資料になっています。原本は140ページほどのものですが、「カルト」という言葉の定義から始まって、その構成要件、そして、カルトに該当する団体の実名リスト、さらにはカルトの被害を未然に防ぐためには官民がどういうことをしたらよいのかということを、かなり具体的に書き込んでいます。
もし、フランス語がわかる方はフランス国民議会Webサイトのホームページ(URLはhttp://www.assemblee-nat.fr/)からもアクセスできますし、日本語の抄訳なら国会図書館にありますので、興味のある方はご覧になったらよろしいかと思います。
そして、この報告書には、フランス国内で活動している172団体を「カルト」と認定し、実名をリストアップしているのですが、そのうちの一つが、自・自・公以降、ついにわが国の政権中枢に入り込んでしまった「創価学会・公明党=池田大作」なのです。
(*具体的にこの報告書には「Soka Gakkai internationale France」の名で記載がありますが、東京・信濃町に中枢機能を持つ創価学会の現地組織のことですので、特に断り書きがない限り、本稿では基本的に「創価学会」の名称で統一します。また、場合によっては「創価学会=池田大作」、「創価学会・公明党=池田大作」の表記も使いますので、念のため)
この報告書では、それまで曖昧な形で使われていた「カルト」(フランス語では「セクト」)ということをはっきりと次のように定義づけています。
<(カルトとは)精神の不安定化を狙った操作で、メンバーからの無条件の忠誠、批判精神の低下を誘い、一般社会にある価値観(倫理的、科学的、公民的、教育的)との断絶をもくろもうとする集団で、これは個人の自由、健康、教育、民主制度に危険を与える。この集団は哲学や宗教、精神医療といった仮面を被ることで、その裏にある権力の獲得や支配、メンバーからの詐取といった真の目的を隠蔽している。>
ここで、この報告書が画期的なのは、はっきりと「宗教」と「カルト」との間に線引きをした点です。私自身がフランスでの現地取材をするまでそうでしたし、まだ、日本でもかなり大勢の人が「宗教」と「カルト」を混同しているのではないかと思います。
もともと、「カルト」という言葉自体、宗教における「正統」と「異端」という区分けから出発しており、「正統」を自負する教団から見れば、分派、独立していった集団は「カルト」なのです。
そして、この「カルト」(フランス語では「セクト」ですが)という語には、その後、「正統」と「異端」が罵り合う宗教戦争を通じて、「不寛容」「盲目的追随」「精神の狭隘さ」といったネガティブなイメージがはめ込まれていきますが、その語感は現在の「カルト」にも受け継がれています。
しかし、前にも述べましたように、フランス下院の報告書では、一連のカルト集団の反社会的な事件を前にして、ここで「カルト」というものの概念を新たに確立しているのです。
私は大学で、おねちゃんのケツを追いかけ回しながらも、それでも(一応)フランス文学を専攻していましたので(笑)、原文でこの報告書を読み込みましたが、何というのか、ちょっとうまく説明ができませんが、執筆者の気負いや悩み、苦渋といったものが、文章の間に流れているのを私は感じます。
ここで「カルトが宗教ではない」、つまり「ニセの宗教」であるとするなら、じゃあ、「本物の宗教は何なのか」という究極の問題が出てきます。
報告書では、敢えてその点には踏み込んでおらず、むしろあいまいにしている感もありますが、そのへんは長い歴史を通じて「政治」と「宗教」との間の、気の遠くなるようなせめぎ合いを通じて、ようやくたどり着いた社会の「暗黙の了解」といったところに、落としどころを置いているように思えます。
少し話が専門的になって大変申し訳ありませんが、欧州では最も早く、フランスにおいて政教分離がはっきりとなされたのは1905年のコンデ法においてです。
この法律によって、絶対王権と結びついていたカトリックは名実とともに政治の世界から切り離されたわけですが、そこでは「俗」(=つまり、「政治」であり、私たちが日常的に生活している「市民社会」のことですが)は宗教は尊重するが、その宗旨の是非や価値判断を行うことを禁じています。そして、また逆に「聖」の世界にある宗教の方も、政治や公教育といった「俗」の世界に立ち入ることを禁止したのです。
マルクスが「宗教とは民衆のアヘンである」と言い切ったように、観念論の極北にある宗教が持つ底知れぬパワーを、誰も否定することはできません。
私自身は無神論者ですが、宗教の存在は否定しません。宗教によって、人間の魂が癒され、己の限界と孤独を知ることで、明日へ生きる力の源となるなら、それは大事なことでしょう。そして、そういう営みの中から、人間の文化や文明が生み出されてきたのでしょうから。
しかし、そうした強固な信念や信仰を一歩はき違えると、それはいとも簡単に教祖への個人崇拝や組織への絶対的な忠誠心へといとも簡単に転化してしまいます。こうしたベクトルを政治の中にすっぽりと取り込めば、それはまさに「全体主義」の出現となるのです。
おそらく、そうした宗教の極意を、政治支配の道具として利用することから、宗教の堕落が始まるのだと思います。それが「カルト」を論じる出発点だと思います。
実は「カルト」の問題を考えることは、実に奥の深いところがあります。実はカルトを論じることは、とどのつまり、「なぜ、政教分離が必要なのか」、「ではいったい、真の宗教とは何なのか」、ということを考えることではないでしょうか。
これまでわが国で「カルトとしての統一教会」「カルトとしてのオウム真理教」「カルトとしてのヤマギシ会」を論じた文献は腐るほどあっても、「カルトとしての創価学会=池田大作」を本格的に論考したものは、皆無だったため、自分にとっても、「カルト」を正面に据えた3作目は、本当に暗い夜道を手さぐりで歩くような、孤独な作業でした。
本当でしたら、私のようなまったく無名の、どこのウマの骨かわからない人間が取り組むんではなくて、アカデミズムの中にいるもっと偉いセンセイ方や、立花隆や田原総一朗、筑紫哲也、本多勝一、猪瀬直樹といった、おそらく本人たちは自分で“一流”だと信じ込み、かつ名も通っているジャーナリストたちにもっと果敢に突っ込んでもらいたかったのですが。
拙著『カルトとしての創価学会=池田大作』を既に読まれた方はお気づきかもしれませんが、私自身は、思想的には、フランス革命に起源を持つ「フランス・デモクラシー(リベラリズム)」の影響を強く受けています。
もともと私とフランスの接点は、高校時代、『ラ・ブーム』に主演していたソフィー・マルソー(最近はハリウッドにも進出して、007のボンド・ガールを演じています。なかなか英語もうまいです)が大好きだったことに始まりますが(笑)、その延長線上で、大学(慶応)でフランス文学を専攻したことにつながっています。
でもって、大学での卒論は大好きだったアンドレ・マルローを取り上げました。
特にマルローの生涯を辿っていったとき、スペイン内戦に参戦し、その後のレジスタンスでは、地下に潜ってナチスとの戦いに身を投じました。その時代のフランスは、別にマルローだけに限ったわけではないのですが、ドイツ・イタリアのファシズム(全体主義)に体を張って戦い、自由のために自らの死すら省みない「冒険の人生」(La
vie d'aventure)に身を投じるさまに、強く心を打たれたのを覚えています。
私が大学時代を過ごした1980年代半ばというのは、高度経済成長から2度のオイルショックを乗り切り、ある意味で、戦後日本の繁栄の果実をむさぼっていた時代だと思います。「慶応ボーイ」という言葉に、脇の下をくすぐられるような優越感を覚えていた私にとって、その頃は奇妙なくらい、まばゆい光が時代を覆い尽くしていたような錯覚に囚われていました。
今でこそ、長野県知事となっている田中“ペログリ”康夫氏ですが、ちょうど、私の大学時代、彼は『ビッグ・コミック・スピリッツ』でおねえちゃんの口説き方の連載を延々とやっていました。それを読みながら、当時の私は「こんなんで本当にベッドインできるんだろうか」と訝った記憶があります。
既に私の大学時代は、「造反有理」を叫んで構内に立てこもった全共闘のころの熱気など、もちろん、どこにもありませんでした。「ノンポリ」という言葉すら、死語と化していましたから(笑)。まあ、慶応はカネ持ちのボンが比較的多かったせいもありますが、巷では「低能未熟大学」とか「KOレジャーランド大学」という評価がもっぱらでしたし(実際、あそこはその程度の大学でしかないのですが)、もちろん、私もそんなバカ学生の1人でした。
ですから、30代半ばの私たちの世代からすれば、おねえちゃんのケツを追いかけ回し、ワインだブランド物だとのたまっておられた“大先輩”である田中康夫が、何をトチ狂ったのか、政治に目覚め、今や知事をやっていることに対して、実に不思議な思いがするというか、ある種の感慨があります。だって、あの人はいちばん政治から遠いところにいたはずの人でしたから。
そういう部分とリンクさせると、私がなぜ、国民の大多数がビビリまくって、目をそらしてしまいたくなる創価学会問題に首を突っ込んでいるのか、実は今でもよくわからないのです。
何だか、個人的なことばかり書いてしまって大変申し訳ありませんが、確かに、自分にとっては、現代の自・公体制のひどさ、その暗部にあるわが国最大のカルト集団に対する関心も、本を3冊も書くくらいですから、もちろんそれなりにはあります。
ですが、それと同等は、もしくはそれ以上に、今度のミニモニの新曲「じゃんけんぴょん」が、果してオリコンチャートで何週連続で1位をゲットできるか、ayu(浜崎あゆみ)の次の新曲・evolutionがどんな出来ばえになっているか、そっちの方も実は私にとっては、非常に重大な関心事なのです。
もっと言えば、昨年1年間での私にとっての衝撃は、森内閣の解散などではなく、むしろ、SPEEDの解散の方でしたし……。
そんな自分が、どうして自・公だのクソだのという問題にかかずらっているのか。気がついたら、「創価学会・公明党=池田大作」で3冊も本を書いてしまっていた、というのが、正直なとこなのです。
その意味では、私のこれまでの思想的(?)遍歴を敢えて辿るとするのなら、さしずめ“田中康夫的転向”とでもいえるのでしょうか。
話を元に戻すと、私が大学生だった1980年代半ばは、「ジャパン・アズ・ナンバー1」と言われた時代で、円高をバックにした日本製品の輸出攻勢に、アメリカからの日本叩きが沸き起こった時代です。
確かに呑気といえば呑気な時代でしたが、逆に言えば、大学4年間を適当にモラトリアムとして過ごして、あとの人生は就職、結婚、一戸建て、定年退職……といった一直線のコースが見えていて、何とも退屈な時代だなあと思いました。
それだけに、ナチスの全体主義と戦い、自由のために命を落とすことを余儀なくされたフランス・レジスタンスの時代に、何とも言えぬあこがれを抱きました。できることなら、第2次世界大戦の頃にタイムスリップし、マルローやヘミングウェイ、ジョージ・オーウェルと一緒に、スペインの人民戦線側に立って、武器を持って戦えたら、どんなに心踊るかと思いました。
ちなみに、マルローは晩年、池田大作と対談しています。そのいきさつは私にはよくわかりませんが、トインビーらと同様、池田大作のハク付けに利用されたことは非常に残念ではあります。
が、少なくともマルローの前半生に手がけた『王道』『人間の条件』『希望』など、自らの体験をもとに描いた作品群は、いまでも時々、ひもとくことがあります。何かの大義をなし遂げるためには、自らの死を厭わない主人公の激しい生き方は、たぶん、私のその後の人生に何らかの形で受け継がれているのでしょう。
前に述べましたように、フランスにおける「政教分離」とは、18世紀末の大革命を出発点に、100年以上もの気の遠くなるような「聖」と「俗」とのせめぎ合いの中で、ようやく20世紀の初頭に確立されたものです。
宗教という存在は確かに人間の心を癒し、生きる勇気を与えてくれるものだとは思いますが、しかし、それは一歩はき違えれば、「盲信」へと転落する危険と常に隣り合わせです。
こうした宗教の持つ“両刃の剣”のマイナス面を最大限に回避する知恵として、出てきたのが、「政教分離」ですし、そして、その根底にあるのは、フランス革命の中から生まれてきた「人権宣言」であり、「自由、平等、友愛」という「(フランス)共和国原理」なのです。そして、こうした考え方のバックボーンになっているのは、1個の人間における自由意思の尊重であり、批判精神の確立、ということだと思います。
もし、「本物の宗教」であれば、そこには自由意思を尊重し、真摯な批判を受け入れるだけの寛容さがあり、人間の自立を促す土壌があるはずです。であるなら、少なくとも「本物の宗教」と「デモクラシー」とは、相反する存在ではありませんし、おそらく、成熟した市民社会では、両者は車の両輪のごとく、お互いが補完し合うという健全な関係を築いているのではないでしょうか。
そうした観点から「創価学会・公明党=池田大作」という存在を見ていくと、そこには個人の自由意思を尊重し、真摯な批判を受け入れる寛容さがあるとは、とても思えません。
それは藤原弘達氏の『創価学会を斬る』に対する言論出版妨害事件を出すまでもなく、脱会者や批判者に対する執拗なイヤガラセ、さらにはいまだに延々と続いている元学会顧問弁護士・山崎正友氏に対する人格攻撃……。
例えば、山崎正友氏の3億円恐喝事件にしても、最高裁で実刑が確定し、本人は既に刑務所での服役を終えているのです。そもそも宗教とは「罪を憎んで、人を憎まず」というものだと思うのですが、創価学会(=池田大作)の場合だと、「罪を憎むのはもちろん、それ以上にとことんまで人を憎む」ということが、極限まで徹底していて、傍目には非常に奇異に思えて仕方がないのです。
実は、これこそがまさに「カルトがカルトたるゆえん」なのです。
こうした流れを踏まえながら、次回は、カルトの問題点、なかんずく、権力を志向する「巨大カルト」の危険性について、詳しく述べてみたいと思います。
(つづく) |