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創価学会シンボルわが国最大のカルト「創価学会・公明党=池田大作」

フリージャーナリスト 古川 利明



第三回

「カルト」とは何か (中)

── 「カルト」とは「宗教の仮面をかぶった全体主義である」


1文字アキ1995年12月にフランス国民議会(下院)で採択された調査委員会(アラン・ジュスト委員長)の報告書『フランスにおけるセクト(=カルト)』では、カルトの構成要件として、次の10項目を挙げています。

  • 精神の不安定化法外な金銭要求

  • 住み慣れた生活環境からの隔絶

  • 肉体的損傷 ・子供の囲い込み

  • 大なり小なりの反社会的な言説

  • 公共の秩序に対する錯乱

  • 裁判沙汰の多さ

  • 通常の経済回路からの逸脱

  • 公権力に浸透しようとする企て

1文字アキ以上の項目を具体的な判断材料として、このいずれかにあてはまるものについて、報告書ではフランス国内で活動する172団体を「カルト」と認定し、実名でリストアップされているのですが、その中でもメンバーの数が「2千人―1万人」と、かなり大きなカテゴリーで分類されているのが、「創価学会」なのです。
1文字アキ私は3作目の『カルトとしての創価学会=池田大作』では、前2作の『システムとしての創価学会=公明党』『シンジケートとしての創価学会=公明党』で紹介した、組織機構、指揮命令系統、カネ、謀略活動といったことを踏まえて、創価学会がこの10項目のいずれにも該当することを論証しています。 1文字アキ確かに「創価学会・公明党=池田大作」という存在は、調べれば調べるほど、これはまさに「カルト」としか言いようがないのです。

1文字アキ「カルト」というと、これまでわが国では、もっぱら統一教会やオウム真理教、エホバの証人、ヤマギシ会といったグループにスポットが当てられ、実際にそれを題材に扱った本も多く出ています。
1文字アキ今度の『カルトとしての…』の執筆にあたって、私はそれらの本もくまなく目を通したうえで、フランスでの現地取材を行いました。
1文字アキこれまでもわが国のカルト問題のアプローチというのは、マインドコントロールの巧みさ、高額の御布施を巡るトラブル、家族を捨てて戻ってこない、集団内での虐待・暴力、しつこい裁判沙汰やイヤガラセによって批判を封じ込める、といった側面がほとんどだったように思います。
1文字アキそれはそれで非常の重要な問題なのですが、しかし、カルトの本質的かつ最も重要な問題は、フランス下院報告書のカルト構成要件の10番目に出てくる「公権力に浸透しようとする企て」なのです。
1文字アキ巨大化していったカルトが政権奪取を目指し、最終的には国家権力すら乗っ取ろうすることを、どう防いでいくか、ということなのです。それが、まさに「宗教の仮面をかぶった全体主義」と対峙することなのです。

1文字アキフランス下院の調査委員会は、1999年6月、前の報告書よりさらに深く奥へと突っ込んだ『セクト(=カルト)と金』と題する報告書をまとめています。
1文字アキここではフランスの創価学会が、エホバの証人、サイエントロジー教会についで、「フランス国内では三番目にリッチなカルトである」(※この報告書によれば、フランス創価学会の年間収入は1400万フラン(1フラン16円で換算して、2億2400万円)から2千万フラン(以下同じレートで換算して3億2千万円)、また、土地や建物などの総資産は、帳簿上ではっきりとした記載があるものだけで、1997年12月末現在のところ、2億4160万フラン(38億6560万円)であると記載されています)と、その詳しい資産状況なども公表しながら、国民に警戒を呼びかけています。
1文字アキこのようにふんだんな資金量を誇り、それをバックに、国家権力すら乗っ取りかねない「巨大カルト」の問題が、実はいちばん重要なのです。

1文字アキしかし、なぜか、わが国の知識人やジャーナリスト、専門家は、「カルト」いえば、鬼の首を取ったように、オウム真理教や統一教会、エホバの証人(ものみの塔)、ヤマギシ会、最近では顕正会(旧・妙信講)やライフスペースといった“プチ・カルト”ばかりを狙い打ちし、「弱いものいじめ」をしているようにしか見えないのです。
1文字アキどうして、わが国最大のカルト「創価学会・公明党=池田大作」が、政権中枢入りしてしまった危険性を、なぜ批判しないのか。それとも、知っていながら、わざと「見て見ぬフリ」をしているのか。私は不思議でしょうがないのです。

1文字アキフランスでは、下院の報告書はもとより、書店に行くと、カルト関係の本が所狭しと並んでいますが、それらを読むと、実に、「カルトとは何か」ということがわかりやすく説明されています。
1文字アキ例えば、カルト対策を行っているNPO「ロジェ・イコールセンター(略称CCMM)」が著した『セクト(=カルト)』という小冊子は、わずか62ページ、定価25フラン(約380円)のコンパクトなものですが、これがイラスト入りで、実に懇切ていねいにカルトについて述べています。

1文字アキこの本をひもとくと、さっそく、5ページにフランス国内で活動する代表的なカルトとして、サイエントロジー教会、エホバの証人などとともに、いきなり「創価学会」の名前が出ています。

1文字アキでもって、昨年(2000年)6月8日には、フランスの国営放送「フランス2」が、「創価学会─21世紀のカルト」と題する特別番組を放映しています。
そこでは、創価学会がいかにミッテラン・前大統領夫人に取り入って、池田大作とのツーショット会談にこぎつけたかや、日本国内でいかにあこぎなカネ集めをやっているやっているかにも言及して、番組では創価学会を「最も危険なカルトの一つ」と断じています。
1文字アキはっきり言って、フランス国内では、創価学会の危険性というのは、認知されまくってるというか、既に“市民権”を得て、警戒の対象となっているのです。

1文字アキまあ、それはともかく、この小冊子『セクト』によりますと、カルトが持つ共通の特徴として、

  • 独裁者に対するメンバーの絶対的な忠誠。

  • 真の目的はカネ集めや権力の獲得だが、そのことはメンバーには隠され、代わりに“平和”だとか“愛”、“健康”といった耳障りのよいキャッチフレーズでごまかす。

  • 信仰においては、個人の自由意思や選択が認められ、内部において質問や批判が容認されている。また、他の宗教に対しても寛容さがあり、特定の人物が神のように崇拝されることはない。これに対しカルト的狂信は、そのグループが絶対的な真理を持っているとみなされ、質問や批判は拒絶される。メンバーの“信仰心”(忠誠心)が薄れていくと罰せられ、グループ内の掟によってのみ行動を取らされる。もし、それが仮に社会規範や法律に違反していても、省みられることはない。

  • 通常におけるリーダーは、その選出過程に民主的な手続きが踏まれるが、カルトのリーダーはグループの全機能を1人で引き受け、その優越性、絶対性を誇る。リーダーへの忠誠にリミットがない。リーダーへの忠誠がすべてを正当化し、そのためには組織内での懲罰や弾劾も正当化される。

1文字アキ私がこれまでの「創価学会・公明党=池田大作」の取材内容から、フランス下院の調査報告書のカルト構成10要件はもとより、この『セクト』に記載された内容とを照らし合わせてみても、フランス下院が「創価学会」をカルトと既に認定している通り、私もこのグループが、あらためてカルトであるとしか判断のしようがないのです。
1文字アキ特にカルトにおいては、既に述べました通り、真の目的は「カネ集め」であり、「権力を握る」ということですが、この正体を巧妙に隠すために、常に「マスク(仮面)」をかぶり続けていると、この小冊子『セクト』では説明しています(※この『セクト』をはじめとして、フランスで刊行されたカルト関係の資料をふんだんに利用しながら、「カルトとは何か」ということをわかりやすく紹介した文献として、文春新書から『カルトか宗教か』(竹下節子著)が出ていますので、興味のある方は一読下さい)。

1文字アキそれが、「自分たちは民衆を救済し、世界平和の実現に取り組んでいる“宗教団体”なのである」というフリをしているわけです。こうした真の目的を隠蔽するためにかぶる仮面は、「宗教」が最もポピュラーなのですが、最近ではそれだけにとどまらず、例えば、ミイラ事件を引き起こしたライフスペースのように、「自己啓発セミナー」のマスクをかぶることもありますし、健康食品の販売や気功といった「健康系」もあります。

1文字アキ例えば、『聖教新聞』を見ると、連日のように「世界平和」に貢献している「偉大なる宗教指導者・池田先生」の表彰、顕彰のオンパレードですね。
また、新聞広告や電車の吊り広告でも、「平和の使者・池田先生」を讃える「池田本」の宣伝がすごいですよね。
1文字アキこれも、見方を変えれば、「自分たちがカルトである」と言って歩いて回っているようなものなのです。図書館などに行くと、他の宗教団体(例えば立正佼成会、天理教、京都の仏教宗派など)の機関紙と比較しながら、目を通しますが、聖教新聞はちょっとというか、全然、紙面のトーンが他とは違いますよね。まさに、聖教新聞は「池田先生に対する個人崇拝の極致」という感じがします。

1文字アキまた、カルト(特に巨大カルト)は自分たちの正体を隠し、世間から認知されるために、学校や大学を設立して、「文化や教育にも力を入れている」ポーズを取りますが、その例として、『セクト』の19ページには、サイエントロジー、統一教会とともに、創価学会が名指しで指摘されています(これはもちろん、日本国内の創価学園、創価大学の存在を踏まえて言及しています)。
1文字アキ何度も繰り返しますが、「カルト」とは、「宗教の仮面をかぶった全体主義」である以上、この問題を放置しておくと、自由な社会、デモクラシーが抑圧されていく危険があります。
1文字アキそうしてみると、自・自・公(自・公・保)政権下でわが国最大のカルト「創価学会=池田大作」が、ついに政権中枢に入り込んでしまった問題の深刻さは、とてつもなく重要なものがあるといえるのではないでしょうか。
私がフランスでの取材を行ったのは、総選挙の真っ只中の昨年(2000年)6月の中旬から下旬にかけてです。既に不在者投票を済ませて出かけたのですが、その総選挙の結果を、パリの空の下で知ることになりました。

1文字アキフタを空けてみると、自民党は過半数割れしたものの、自・公・保の与党3党で計271議席を獲得し、常任委員会ですべての委員長を独占し、なおかつ採決ができる、いわゆる「絶対安定多数」を確保しました。連立与党にとっては、手放しで喜べる勝利ではないにしろ、決定的な敗北ではなく、日本の梅雨空のような、何ともすっきりしない結果でした。

1文字アキこの選挙結果はフランス人の取材相手との間でも当然、話題に上りました。
1文字アキまずは、この「自・公・保の絶対安定多数確保」という結果に非常に驚いていたのもそうですが、それ以上に「ルノーの実質的支配下に入った日産自動車の経営破綻に象徴されるように、これだけ日本の経済がひどい状況が続いていて、それに対して日本人も強い批判があるはずなのに、なぜ、政権交代が起こらないのか」という点に質問が集中しました。
1文字アキそして、もう一つが「カルトの支配する政党が国家権力の中枢に入っていることに対して、日本の国民はどう思っているのか。そうした批判が選挙では出てこなかったのか。これはおそらくデモクラシーが危機に直面しているということだと思うが、それに対し、日本のジャーナリズムはなぜ、きちんと批判をしないのか」ということでした。

1文字アキ特に私が現地取材したのは、フランス2の特別番組『創価学会─21世紀のセクト(=カルト)』が放映された直後だっただけに(もちろん、この番組が制作された背景の一つに、創価学会・公明党が自・自・公以降、ついに本国・日本で政権与党入りしてしまったことへの、フランスのジャーナリズムの危機感があります)、フランス国内では、創価学会に対する関心も高まっていました。

1文字アキそれと、この総選挙の結果と合わせて、フランス人の取材相手にしてみれば、素朴な疑問を私にぶつけただけにすぎないのですが、そのとき、恥ずかしながら、そのあまりにもストレートな問い掛けに不意をつかれ、しどろもどろになってしまい、きちんと答えることができなかったのです。
1文字アキこうしたフランスでの取材体験もあって、遅ればせながらも「カルトとしての創価学会」という問題提起をきちんとしなければならないと、気持ちを引き締めた次第でした。

1文字アキ欧州、中でも特にフランスが、「宗教の仮面をかぶった全体主義」である「カルト」の台頭に強い警戒感を見せるのは、おそらくその歴史的背景があるからだと思います。
1文字アキそもそも近代国家の価値観というのは、絶対王権と結びついていた宗教(=カトリック)の権威を否定する中から、人権やデモクラシー、リベラリズムといったものが生まれてきました。
1文字アキ見方を変えれば、「俗」の世界の政治にまるまると関わっていた中世のカトリックというのは、その段階ではまさに「カルト」だったわけです。こうした視点から捉えれば、国家レベルでの政教一致を目指している「イスラム原理主義」も、現代の“超巨大カルト”と呼んでいいのかもしれません。

1文字アキ実は、人権だとか、デモクラシー、リベラリズムという思想・価値観の萌芽というのは、キリスト教の教えの中にもともとあるものです。こうした価値観がベースとなって、人間の歴史なり文化を築き上げてきたのだと思います。
1文字アキおそらくヨーロッパ近代の歴史というのは、「宗教」が「政治」に介入する(もしくは「宗教」が「政治」に振り回される)ことの弊害、デメリットを克服しようとする、気の遠くなるような作業の繰り返しだったのではないか、という気がします。
1文字アキこういう視点から、もっと大きな流れで見ていきますと、近代デモクラシーの確立とは、ひとことで言いますと、「脱カルト化」の歴史である、と言っていいと思います。
1文字アキその意味では、宗教は常に「カルト化」していく危険を孕んでいるのではないかと思います。現にフランスでも、カトリックの末端組織が、過激な単独行動を進めていく過程で、カルト化していっているケースはあります。

1文字アキわが国の場合でみますと、「宗教団体」として出発したはずの創価学会が、「カルト化」の道をはっきりと踏み出したのが、1964(昭和39)年、池田大作が公明党を結成し、衆院進出の方針を打ち出した(つまり、「体制権力を乗っ取るということをはっきりさせた」ということですが)時点と捉えていいのではないでしょうか。
1文字アキこれが、例えば、オウム真理教の場合で見ていきますと、麻原彰晃がいつごろから「天下取り」の野望を膨らませていたかはわかりませんが、少なくとも、そのスタートの時点においては、まじめに教義の研鑽も行うごくフツーのヨガサークルだったと聞いています。
1文字アキそれが、90年2月の総選挙の真理党の出馬の失敗から、一気に過激な武装闘争路線へと舵を切りますが、まさにこのプロセスは、ある一つの「宗教団体」が、ものの見事に「カルト」へと転落してしまったことを表していると思います。
1文字アキですから、繰り返しになりますが、「カルト」を論じるときにいちばん大切なのが、「政教分離」という考え方なのです。

1文字アキ「政教一致」だったヨーロッパの中世においては、カトリックも実質的にはカルトだったことは既に述べましたし、洋の東西を問わず、宗教団体が政治に介入する(政治権力を目指す)ことで、カルト化していくケースはいくらでも見られます。
1文字アキしかし、歴史の波にもまれる中で、だんだんと「全体主義」や「覇権主義」といった角が取れ、民衆を救済する規範として認知されていったものもあります。

1文字アキカルトを論じるということは、そのまま、「真の宗教とは何か」「そこから生まれてくる信教の自由とは何か」を考えることにつながります。
1文字アキ特にヨーロッパは中世以降、「カトリックVSプロテスタント」という、血塗られた数々の歴史がありますし、特に、今世紀に入ってからは、2度の大戦の舞台となりました。特にフランスにとっては、ナチス・ドイツに国土を蹂躪されたトラウマはことのほか大きく、「あのドイツのような全体主義国家を、もう2度と出現させてはならない」というコンセンサスというか、切なる願いが、戦後史の出発点にあります。

1文字アキそういった歴史的な土壌があるため、2000年2月にオーストリアで、ハイダー率いる極右政党・自由党が連立政権入りしたことに対して、例えば、アメリカは「それは議会制民主主義の結果だから、それでいいではないか」という冷淡な姿勢を見せているのに対し、欧州(特にフランス)は、「ヒットラーはクーデターで政権を取ったのではない。あくまでナチスは議会制民主主義の中から生まれてきたのだ」という批判的な姿勢を取っています。
1文字アキつまり、フランスは(ある意味でアメリカよりも)デモクラシーを脅かす敵、すなわち「全体主義」に対しては、毅然と戦うというポリシーがあります。
1文字アキそこから、「宗教の仮面をかぶった全体主義」である「カルト」の対策が出てきます。また、「カルト」が政権与党入りした日本の政治状況はもちろん、わが国のジャーナリズムがそうした状況を見て見ぬフリをしているというのか、無関心な姿勢に対して、欧州、特にフランスから見れば、「いったい、日本はどういう国なのか。本当に民主国家なのか」と、いわば「モノ笑いの種」となっているのです。

1文字アキ以上を踏まえて、次はもう1回、「カルトとは何か」を論じたいと思います。具体的には「“カルト輸出大国”アメリカVS欧州」の対立、フランスにおける実際のカルト対策に触れながら、日本のカルト対策のお寒い現状をも見ていきたいと思っています。

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