liberal-shirakawa.net HOMEHOME | 主張 | 略歴 | 著書 | 永田町徒然草目次 | 古川トップ

創価学会シンボルわが国最大のカルト「創価学会・公明党=池田大作」

フリージャーナリスト 古川 利明



第八回

サルでもわかる池田センセイの“天下取り”講座――そのココロは「キャスティング・ボード」を振り回すこと


1文字アキと、ちょっと、これまでのカタ苦しいタイトルと打って変わって、今回はおふざけで始めました(笑)。
1文字アキまた、個人的な事情を書いて申し訳ありませんが、結構、その日の気分がありまして、ピシッとマジメに決めたい時と、一発、ギャグをかましたい時と、コロコロ変わりまして、今日は少し気分を変えて、原稿を書きたいと思います。

1文字アキこれまでに繰り返し述べてきた通り、「カルト」の本質が「宗教の仮面をかぶった全体主義」であるとするなら、創価学会のような巨大カルトの問題点(危険性)は、公権力の中枢に浸透することで、最終的には国家権力を乗っ取りかねない、ということです。

1文字アキこうした問題意識をふまえながら、では、具体的に、池田センセイはいったいどういう方法で、天下取りに邁進されておられるのか、ということを、できるだけわかりやすく説明していきたいと思います。

1文字アキそもそもの出発点からして、昨年(2000年)6月の総選挙での公明党の獲得議席は、31議席です。
1文字アキ票数に換算しますと、比例選で773万票、小選挙区選で123万票ですから、有権者全体からみても、公明党(=創価学会)の得票数というのは、有権者全体のたかだか「数%」にすぎないわけです。
1文字アキこうした“弱小政党”を率いているにすぎないはずの池田センセイが、衆院で233議席(総選挙開票直後)の議席を持つ自民党と連立を組み、そことがっぷり四つに組みながら、永田町の政局を振り回しているということは、ある意味で、非常にすごいことだと私は思います。
1文字アキ実際、「創価学会政治部」の別称である「公明党」の、「コウモリ」としかいいようのない、うわべだけの動きだけに目をとらわれていると、なかなか池田センセイの権力行使の本質が、見えにくいのですが、しかし、その原理原則さえ押さえれば、あとは至って簡単なのです。
1文字アキその“秘密”(=手品のタネ)が、実は「キャスティング・ボード戦術」なのです。

1文字アキ「数は力なり」と口うるさいくらいに言ったのは田中角栄ですが、民主政治の原理は、議会内でいかに多数派を形成するか、つまり、「51%」を確保するかに行き着きます。もちろん、本来は、連立を組むことで、「51%」を確保するときに、各政党同士が意見をぶつかり合わせ、「ここは主張するけど、ここは引く」といったように、どこの線でギリギリの妥協を図るかという議論こそが、実はデモクラシーの根本なのです。

1文字アキが、ご存じの通り、自・自・公(自・公・保)では、そういったプロセスがものの見事に欠落している、単なる「野合」でしかないというのは、「何をいまさら」という指摘ですので、それは飛ばして、話をもっと先に進めます。

1文字アキこれがもし、かつての自民党のように1党で単独過半数を制している状況であれば、数合わせのための「創価学会=公明党」は必要ありませんが、こと、1993年7月の総選挙で自民党が惨敗し、細川非自民連立政権の成立を許して以降は、基本的に自民党が1党だけで単独過半数をキープできるだけの基礎体力がありません。
1文字アキとなると、首班指名に始まって、予算や法案を通すためには、第2党以下の協力が必要になります。
1文字アキその場合、個別の法案ごとに協力を呼びかける「パーシャル連合」がいいのか、その政党をまるごと“家の中に入れて”しまう「連立」を組むのがいいのかは、その時の政権中枢にいる人の判断ですが、まず、ここに池田センセイの付け入るスキがあるのです。

1文字アキ創価学会・公明党のキャスティング・ボード戦術の歴史を遡っていくと、実にこれは非常に根の深いものがあります。
1文字アキ細かいところは後で説明しますが、これを政治の舞台で本格的に使い始めるのが、東京都議会です。
1文字アキ創価学会・公明党が東京都議会を足掛かりに国政(衆議院)を本格的に目指したのは、1964(昭和39)年11月に池田さんが公明党を結成したときです。
1文字アキで、公明党が一躍、脚光を浴びることになったのは、その翌年の1965(昭和40)年3月に、都議会議長選挙をきっかけに自民党都議7人が逮捕された「都議会版・黒い霧事件」で、議会が解散されたことに伴う出直し選挙おいて、「都政の刷新」を唱えた公明党が、何と23議席も獲得し、第3党に躍り出たことです。
1文字アキこのときの選挙では自民党は第1党の座を滑り落ちて、38議席にまで落として第2党になり、逆に第2党だった社会党が45議席を獲得して第1党となりました。
1文字アキそして、ここから先は小学生低学年レベルの、算数の足し算ですが、当時の都議会での議席数(定数120)を見ると、過半数の計61議席を制するには、「社会党+公明党(45+23=68)」か「自民党+公明党(38+23=61)」の計算式からわかる通り、第1党の社会党、もしくは第2党の自民党が、第3党の公明党を抱き込まないことには、全体の「51%」にはなりません。
1文字アキここで公明党(=創価学会・池田大作)は、念願のキャスティング・ボードを握ったわけです。

1文字アキしかし、「自分を高く売りつける」ためには、もう少し、細工が必要です。
1文字アキそれにはまずゴネて、反対のポーズを見せることです。
1文字アキ例えば、1965年の刷新都議会で、最初に直面した問題が、都公安委員人事でした。 それまでは自民党が単独過半数を占めていましたので、都庁執行部は自民党のボスに話をつけておけばそれで済んだのですが、今度は、第2党、第3党の社会、公明にも根回しが必要となります。
1文字アキ公安委員人事は、副知事などの特別職と同様、議会の承認が必要です。そこで、公明党がやったのが、「公安委員全体が年寄りすぎる」と難癖をつけたために、議会に公安委員人事案が提出できなくなったのです。
1文字アキこのため、定員5人の公安委員のうち、2人がいなくなるという異常事態になりました。これでもし、残る3委員のうち、1人でも欠席すれば、公安委員会は成立しなくなり、いくらお飾りとはいっても、警視庁にとっては、首都の治安維持のためには、大きな影響を及ぼすことになります。
1文字アキところが、それから1カ月後の9月定例議会では、一転して公明党が、当初の警視庁案を賛成します。何とも、のちの自・自・公路線を先取りするかのような、見事なコウモリぶりですが、この行動に「公明党・創価学会=池田大作」の“キャスティング・ボード戦術”のすべてが集約されているといっていいと思います。
1文字アキ「最初から賛成しないで、まず、反対と見せておいて、できるだけ高く売りつけ、裏取引に持ってくる。そうやって、オイシイ果実を手に入れたところで、ようやく賛成に回る」。すごいと思いませんか。

1文字アキちなみに、この後、警視庁は(少なくとも昭和40年代までは)池田センセイに、何とSPを差し出しています。SPを付けるっていったら、待遇は「総理大臣」並みですよね。さすが、ウラの総理大臣!(パチパチ)。
1文字アキこうした公明党のコウモリぶりに、当時、毎日新聞社会部で都庁を担当していた内藤国夫が、都議会公明党幹事長の竹入義勝に「どうして、そうやって態度をフラフラさせるのか。政党として無責任すぎやしないか」と追及すると、竹入氏はこう言ったそうです。

「何をシロウトっぽいことを言うのかい。わが党の存在価値を高めるには、初めから賛成を表明するより、反対した方が、相手がこっちの主張や要求により多く従うようになるじゃないか。駆け引きのイロハだ」

1文字アキとなると、最初から公明党(=創価学会)の言うことを、真に受けると、バカを見るということですね。

1文字アキ既に、キャスティング・ボード戦術は、こうやって東京都議会において長い実験を重ね、その効力は実証済みですので、あとは、国政レベル(特に自・自・公以降の政局)においても、これをちょっとひねって応用すればいいだけの話なのです。
1文字アキこうやって、池田センセイの天下取りの作戦も、基本の方程式さえわかると、あとは至ってカンタンなのです。
1文字アキつまり、「X」を第1党など、与党を形成する公明党以外の政党の議席数、「Y」を公明党の議席数、「Z」を議会の過半数の議席数としますと、まずは、不等式

X+Y>Z

が成り立つことが、絶対条件なのです。
1文字アキこの条件を満たしたときに、「Y=公明党」であるところの「コウモリ」が、過半数である51%の議席数を成り立たせるための、最大限にキャスティング・ボードを駆使できる環境が整いますから、ここで池田センセイの天下取りが本格的に始まります。

1文字アキ特に、自社対決の55年体制下では、「右」につくか、「左」につくかということが、キャスティング・ボードを振り回すための、大きな“大義名分”でした。
1文字アキつまり、池田センセイは、自ら「本当は全体主義が一番理想の形態だ」とおっしゃっておられますように、そのファッショ的な体質からみてもわかる通り、ホンネでは保守志向(=自民党大好き人間)なのです。
1文字アキしかし、それをストレートに出すと、足元を見られるため、ハンドルを右や左にジグザグに切り続け、常にめくらましを行うことで、その神通力を発揮しつづけてきました。
1文字アキが、ようやく、あの自・自・公のおかげで、「創価学会・公明党=池田大作」は、その「宗教の仮面をかぶった全体主義」という「カルト」の本当の姿を、図らずも世にさらけ出すことになってしまいました。

1文字アキそして、冷戦崩壊以降、体制の選択(「右」と「左」とどっちを選ぶか、ということですが)いうことが、有名無実化したことに加え、さらには、昨年秋の加藤政局の鎮圧を機に、自民党内にもともとあった良質なリベラル勢力が、ズタズタに切り刻まれたことを考えると、これから池田センセイがキャスティング・ボードを振り回す最後の大義名分が、私は「ハト派・リベラル派の仮面」だと思います。
1文字アキその証拠に、名実ともに「ウラの総理大臣」となった昨年の総選挙以降、聖教新聞で「教育基本法の精神を守れ」だとか、「憲法第9条の改正は慎むべき」だといった、あたかも反戦平和・ハト派のフリを見せるのに余念がありません。

1文字アキあと、『聖教新聞』や『潮』あたりで、全体主義者としての池田センセイの正体を隠すため、創価学会がいかに戦前、反戦を唱え、ファシズムと戦ってきたかという“虚構”をPRするのにも、前にも増して力が入っています。
敢えてここで指摘しておきますが、牧口常三郎、戸田城聖は「反戦」を唱えたから投獄されたのではありません。「国家神道」を押しつけてきた軍部に、「天照大神を祈って国が救えるか。国を救うのは日蓮大聖人の御本尊のみ」と主張しつづけたので、投獄されたのです。少なくとも、戦前の創価学会は「戦争に反対していた」という事実はありません。むしろ、戦争そのものには肯定的だったのです。
1文字アキそれを池田センセイは、あたかも創価学会が戦前から「反戦平和を唱え、ファシズムと戦った」とのたまっておられますが、確かに特高警察に逮捕されたため、「ファシズム体制から弾圧を受けた」ことは事実ですが、「反戦平和を唱えていた」という部分は、まったくの“フィクション(=ウソ)”ですので、そのへんをお間違えなく。
1文字アキ戸田は戦時中を振り返り、次のように語っています。

「戦争では勝ちたかった。負けるとは思っていなかった。私の今もっている信念は当時はなかった。私には教学もなかったし、勉強もしてなかったからなんだ。初代会長は勝つといっていた」

(小口偉一編『宗教と信仰の心理学』)

1文字アキこれまで本稿で説明してきたように、1人の独裁者が組織を完全にコントロールする「創価学会・公明党=池田大作」のファッショ的体質を考えれば、こうした池田センセイのハト派的な発言が、単なる「めくらまし」であることは、ちょっと考えればすぐにわかるでしょう。自・自・公であれだけの戦争法案を通過させておいて、何をいまさら「憲法第9条の改正は慎むべき」でしょうか。
1文字アキここで“平和主義者”の仮面をかぶり、何とか国民を油断させ、欺くことで世論の支持を得る。そして、自民党内に対しては、タカ派に反対のポーズを見せておいて、最終的には自民党内のタカ派とも握手する。間違いなく、これが先生のホンネだと思います。

1文字アキただ、座談の名手である池田センセイは、非常にもっともらしく、説得力を持ってお話しになるので、そのへんのカラクリを見抜くのにちょっと知恵が必要かな、って気はします。
1文字アキその証拠に、ある大手出版社の、非常に名の通った月刊誌の編集者の話ですと、こうした最近の池田センセイの“ハト派発言”を受けて、あの『お笑い創価学会』を出した佐高信氏が、何と「石原新党とか、こうしたタカ派的な時代状況になっているなか、ああいうことを言う池田さんを評価してもいいんじゃないか」と漏らしていたそうです。だとすると、一般のシロートさんでも、コロッと騙されてしまっている人もいると思います。

1文字アキ池田大作はかつて田中角栄に「自民党が本気で憲法改正をするのなら、公明党を解党し、自民党に合流して協力する」と言い切っていたそうです。
これはおそらく池田のホンネでしょうが、要するに、池田さんという人は、権力の維持、拡大のためには、何でもやる人ですから、その点をちゃんと踏まえておいた方がいいと私は思います。もちろん、田中角栄はそうした池田大作の本質を見抜いていましたら、彼の弱みを握りつづけて、「自民党のために」徹底的に利用したのです。
1文字アキそうしたことを考えると、「役者」としての池田センセイは、本当にすごいですね。ここでは一切の皮肉を込めず、池田さんという人は俳優としても一流の能力を持っていると思いますし、映画などにも出演したら、スターになっていたと思います。
1文字アキですから、ここにも“演技的人間・池田大作”の真骨頂を見る思いです。
ここでもう少し、天下取りに向かって、日夜、猪突猛進なさっておられる池田センセイの“魔法の杖”である「キャスティング・ボード戦術」が出てきた経緯を見てみましょう。

1文字アキ1964(昭和39)年に公明党を創立し、公然と天下取りを目指した池田センセイですが、実は当初、彼は本当に「総理大臣」というオモテの権力を目指してました(*たぶん、この思いは今でも捨ててはいないと思います。ですから、最近の聖教新聞に掲載された彼の発言でも、憲法第9条の改正には反対しても、さりげなく首相公選制には賛成しているところに、池田センセイのホンネが透けて見えます)。
1文字アキこのへんの「天下取り」を目指してた話は、池田さんの側近だった人などに取材すると、必ず耳にタコができるほど聞かされるので、ここでは要点を簡単に述べるにとどめます。
1文字アキ当初の池田センセイの戦略は、1979(昭和54)年までに日本全体を創価学会一色に塗りつぶす広宣流布を達成し、その際には総理大臣となった自らの手で戒壇を建立するという、文字通りの「日本乗っ取り計画」を本気で考えていたというのです。
1文字アキこれ一つを取っても、なかなか凡庸な人間では思いつかない、センセイのスケールの大きさだと思います(笑)。

1文字アキところが、こうした池田センセイの「日本乗っ取り計画」を根本から変えたのが、1969(昭和44)年から翌70(同45)年にかけて、降って湧いたように起こした「言論出版妨害事件」です。
1文字アキここで世論からの猛烈な批判を受け、人間サンドバック状態になった池田センセイは、ここで突如、「国立戒壇建立」という日蓮正宗の“教義”を捨て、その代わりに「舎衛の三億」なる珍説を持ち出すことで切り抜けます。このへんの身の変わりの速さも、池田センセイの動物的カンの冴えとも相まって、「いとすさまじきもの」です。
1文字アキ「舎衛の三億」とは、もともとはシャカの教えにあることですが、ここでは「学会員が総人口の3分の1となり、信仰はしなくても残りの3分の1が我々のシンパで、あとの3分の1が反対であっても、事実上の広宣流布は達成されたことになる」というリクツです。
(※もっとも本来、教義の解釈権は宗門の法主にあるので、たかが信徒団体の長にすぎない池田センセイが、教義の問題に嘴をはさむこと自体が根本的におかしいのですが、そのへんに話を持っていくと、また、別の方に展開していってヤヤコシクなりますので、このあたりの詳しい経緯に興味のある方は、拙著『カルトとしての創価学会=池田大作』の「第四章 創価学会と日蓮正宗、抗争の迷路」をご参照下さい)

1文字アキこれを具体的な永田町での戦術の置き換えると、「公明党」という、自民党の大派閥の1つに相当する勢力を確保することで、自社両党に次ぐ議会における「第三の勢力」としてキャスティング・ボードを握り、そこから権力を窺うという作戦です。
1文字アキさらにもっと細かく説明しますと、自民党が過半数割れに陥った際に、連立政権を組むことで、政権与党入りし、その際にはあらゆる手段を使って、学会に対するアレルギーを取り除く一方、その豊富な資金力をバックに与党内でのイニシアチブを握る。
1文字アキそして、院政的な立場で公明党を完全にコントロールする池田センセイが絶対的な権力を掌握し、国民が「ノー」と言えなくなった時点で、ようやく「表」に出てきて、憲法改正で「初代日本国公選首相」なり、「初代日本共和国大統領」になる、というシナリオです。
1文字アキまあ、こんなことはあってはならないことですし、もし、万が一、こういう状況になった時は、私は間違いなく処刑されますので、すぐに外国に亡命しますが……(笑)。

1文字アキ少なくとも、自民党が過半数割れを起こし、その隙にスルスルと入り込んで自・公連立ができているいまの状況は、池田センセイにとっては、願ってもない大チャンスであり、これはセンセイの天下取り構想と照らし合わせてみても、一歩も二歩も前進なのです。
1文字アキですから、“池田大作・日本独裁国家”など、もちろん起こってはなりませんが、しかし、どうも昨今の政治状況を見ていると、これをあながち「お笑い創価学会」として済ますわけにもいかないのです。

1文字アキ前にも少し触れましたように、創価学会・公明党のキャスティング・ボード戦術は、歴史的に見ていくと、非常に根の深いものがあります。
1文字アキ創価学会が組織として飛躍的にグローイング・アップするのは、戦後、戸田城聖が第2代会長に就任してからでしたが、例えば、池田さん自身が少年時代に「貧」「病」「苦」に悩まされたように、学会がその折伏対象としてメインターゲットにしたのは、社会のメインストリームからこぼれ落ちていった人たち、いわば「マイノリティー」に属している人たちです。
1文字アキその流れは現在でも基本的に変わっていませんが、特に戦後、創価学会が会員の掘り起こしに力を入れていったのが、「未組織労働者」だったのです。

1文字アキ確かに戦後、組合活動によって、労働者の生活水準は飛躍的に向上しましたが、しかし、そこからもこぼれ落ちる人たちがいました。例えば、田舎の農家の二男、三男で、大企業には入れなくて、中小企業や大工や左官、日雇い労働者になります。
1文字アキそういった人たちは、えてして社会から認められず、鬱屈した思いを胸に秘めています。そうした名もない人たちに手を差し延べ、組織化していったのが、創価学会だったのです。

1文字アキそして、こうした戦略は、学会が組織拡大のプロセスにおいて、社会党系や共産党系の第一、第二組合にいずれにも属しなかったり、労働組合のない中小の零細企業などの未組織労働者にターゲットを絞ったことからも、よくわかります。
1文字アキ特に昭和30年代前半には、北海道の夕張や、九州の三井三池、筑豊などの炭鉱労組に学会は食い込んでいっていますし、ここで先頭に立っていたのが、実は参謀室長時代の池田さんだったのです。
1文字アキこうして炭労に手を伸ばしていったのは、当時の組合は社会党左派が牛耳っていたため、いわゆる“向坂門下生”でなければ、組合幹部の出世コースに乗ることは無理だったのです。

1文字アキこうした現状に対する一般組合員の不満は大きく、執行部を批判する人間のうち、イデオロギー的に「左」に振り切れる人は、共産党に走りましたが、逆に「右」にとどまろうとするグループの受け皿の役割を果たしたのが、創価学会だったのです。
1文字アキそして、会社の経営陣もこうした状況を熟知しており、このころから会社首脳がハレモノに触るように創価学会を見つめ、何とか「反共の防波堤」として利用できないか、と苦心惨憺している様子が、既に当時の週刊誌などで指摘されているのです。
1文字アキつまり、池田センセイが公明党を創立して、天下取りに打って出たとき、体制権力や財界に直結している自民党支持の保守層と、労組をベースとした社会党支持者の革新層とのはざまにあって、そのどちらにも属しないで「第三極」としてキャスティング・ボードを握ろうとする萌芽が、既に創価学会の出発の時点で見えるのです。

1文字アキそして、この話はおそらくまだ誰も書いていない話ですが、実は、池田さんは公明党結党の直前に、未組織労働者をまとめる形で、創価学会丸抱えの「労組」を立ち上げようと計画を進めていたのですが、準備不足やもろもろの事情で“創価学会版・労働組合”の結成を断念しているのです。
1文字アキ元学会幹部によりますと、断念した大きな理由というのは、「労組は本業(=学会本部&公明党)の片手間では到底できない。コストがかかりすぎる」という池田さんの合理的かつ怜悧な判断でした。
1文字アキそれゆえ、池田さんの取った戦略が、自前の労組を持つ代わりに、社会党系の旧総評や民社党系の旧同盟の組合に、学会員を“草”としてもぐり込ませる作戦だったのです。そして、ここから、かつての「社・公・民」という野党共闘路線のブリッジが出来上がってくるわけです。

1文字アキもう、ここまで書けば、カンの鋭い本サイトの読者の方々は、私が何を言いたいか、お分かりですよね。
1文字アキその旧総評と旧同盟が合体してできた「連合」が、現在、どこの党を支持しているのか。そして、その政党がなぜ、「創価学会=公明党」の政教一致批判に及び腰なのか。でもって、連合主催のメーデーで、なぜ、公明党の神崎があいさつすると、他の党首より拍手がひときわ大きくなるのか、いろんなものが見えてくるでしょう。

1文字アキ私の取材で明らかになった事実を簡単にここでご紹介いたしますと、例えば、清掃事業を管轄する東京都清掃局(2000年4月以降は東京23区に移管されていますが)の労組(もともと旧総評に所属していました)は全体で約1万人の組合員がいますが、この大半は「創価学会員」という内部証言が出ています。
1文字アキ具体的にはある清掃事務所(実名を出したいのですが、それを出すとニュースソースがバレる恐れがありますので、秘匿します。あしからずご了承下さい)には約110人の組合員がいますが、そのうちの何と80人は学会員という数字が出ています。でもって、そこの組合支部長は代々、「学会員」なのだそうです。
1文字アキこれだけの人数がいれば、当然、組合の執行委員の選挙等にも多大なる影響力がありますから、表看板は「旧総評・社会党系」とはいっても、実態は「創価学会・公明党系」の組合なのです。

1文字アキあと、いろいろ調べていくと、旧総評系、旧同盟系の組合幹部に学会員が入り込んでいるという話は、それほど腐るほど出てきます。ウラの取れた具体例でいきますと、例えば、神奈川県庁の自治労系職員組合の執行部にも、学会員が入り込んでいます。
1文字アキそういったところから見ていくと、創価学会・公明党との腐れ縁は、田中角栄をルーツとする自民党の方にばかりに目が行っていますが、実は労組を足掛かりとする旧社会党、旧民社党にも“汚染”が根深く進行しているのがわかります。そして、その“濁流”は現在の民主党に流れ込んでいるのですから。

1文字アキこうして創価学会と「チョー仲良し」の大物議員が、民主党の大幹部クラスで言うと、旧民社党(旧同盟)出身の大阪の中野寛成です。
1文字アキ昨年(2000年)の大阪府知事選で、民主党は自・自・公の推す太田房江に乗っかるという、我々無党派層の目から見ると、実にワケのワカらない行動をしましたが、中野寛成が牛耳る民主党大阪府連は、党中央もなかなか手が出せないアンタッチャブルな関係が、創価学会(=池田センセイ)との間にあるのです。
1文字アキ中野寛成にしてみれば、自分の選挙区事情(つまり、自分が当選するためには学会票を貰わなければならない)があるため、どうしても、池田センセイの意向に逆らうことなど、できないわけです。

1文字アキこういう背景があるわけですから、民主党の菅直人幹事長が、今年(2000年)1月12日の全郵政の新年会で「できれば今年は与党の人とも連携しなけばならない」と、ポロッとリップサービスしてしまった理由がわかるでしょう。
1文字アキ要するに、これも見方を変えれば、“組合票”(=「学会票」)対するラブコールと受け取ることもできるのです。
個人的な意見を言わせてもらえば、いまや組合という存在は、KSDと同様、自分たちの“既得権”を死守しようとするだけの「お荷物」でしかないわけです。
1文字アキいってみれば、いまや「連合」など、“ウラ自・公”そのものですが、民主党の最大のアキレス腱は、こういった「55年体制の遺物」を抱え込んでしまっている点だと思います。
1文字アキ私に言わせれば(別に私だけでなく、同世代の友人たちもみんな言ってますが)、こうした“老廃物”などはさっさと切り捨ててしまった方がすっきりしますし、その方が無党派層の共感・支持を得ることができると思うのですが、なかなか男女の腐れ縁と同様、キレイに清算するのは難しいのでしょう。

1文字アキそれにしても、改めてスゴイのは我等の師匠(笑)、池田センセイでしょう。
1文字アキセンセイの本音はあくまで「自・公」ですし、もちろん、センセイがとっても大好きなのは「極右的、国家主義的、全体主義的な思想信条」です。
が、保身のためには、いつまでも「自・公」というわけにはいきません。選挙で負けてしまえば、元も子もないわけですから。
1文字アキそのときに、ちゃんと“保険”が労組を経由して民主党にも掛かっているわけですから、これでセンセイにとっては、もう怖いモノなしですね。今夏の参院選に惨敗すれば、「自・公は民衆の支持を得られなかった」と言って、掌を返して自民党を切り捨てて、今度は民主党とくっついてしまえばいいのですから。
1文字アキまさにこれこそが「コウモリ」であり続けること、つまり「キャスティング・ボード」の極意なのです。
1文字アキさらには、民主党本体自身も、現在の鳩・菅執行部には、「カルトが国家権力の中枢に入ってしまった」ことに対する問題意識、危機感というのが希薄ですので、本当にどうしようもないですね。実に悲しいし、腹立たしいことですが、21世紀になっても、日本の「世紀末」はまだまだ続いているようです。

(つづく)第七回へページの先頭へ戻る第九回へ

ページの先頭へ


白川勝彦OFFICE
katsuhiko@liberal-shirakawa.net

Copyright© K.Shirakawa Office 2002
Web pages Created by DIGIHOUND.,2002