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「夜明け前が一番暗い」と言ったのは堺屋太一経企庁長官(当時)。しかし、日本の政治経済は一向によくならないどころか闇は増すばかりである。第2の明治維新が期待される混迷のときに、白川勝彦が自民党と決別宣言、新党を結成する。“平成の高杉晋作”となれるのか。
―去る2月5日、森喜朗総裁に宛てたこの文書に署名し花押を認めて、党本部に提出しました。 25年在籍した自由民主党を離れ、私は新党を結成します。 白川勝彦、昭和20年6月生まれの55歳。東大法学部在学中、司法試験に合格。54年、34歳で衆議院選初当選。以来、昨年の総選挙で落選するまで、6回の当選を果たす。元自治大臣・国家公安委員長。自民党内では加藤派に所属。総務局長、団体総局長などを歴任した。“戦うリベラリスト”を自任し、公明党との連立を厳しく批判してきたことで知られる。 自由民主党はいまや、“不自由非民主党”と成り果てた─。これは去年の総選挙の2、3ヶ月前から、党内の若手国会議員が合言葉のように言ってきたことです。私もその前後から、“この党はいよいよダメだな”と感じ、声を上げてきたつもりです。 ところが大多数の人たちは「長いものには巻かれろ」で従ってしまった。その結果、ひどいものがますますのさばってきました。近頃は夕刊紙に、「野中首相説急浮上」などという見出しが躍るほどです。党内からは、「本人はその気になっている」なんて話まで聞こえてきます。何をかいわんやです。 森総理の支持率が極端に低いのは、その言動があまりに無内容だからでしょう。しかしそれは森総理に限った話でなく、いまの自民党全体に「政権党でありさえすればいい」という有象無象派が増えていたからなのです。 たとえば、河野洋平外務大臣です。じっとしていれば、ひょっとしたら首相の座が回ってくるかも…と期待しているだけの物待ち顔にしか、見えません。 理解に苦しむ橋本首相入閣 橋本龍太郎元首相も、なぜいま大臣など引き受けたのか、実に理解に苦しみます。現在の自民党の人材不足ぶりから考えれば、橋本氏の首相再登板もありうる、と私は考えていました。しかしかつての橋本内閣の政策を全部否定する内閣に1閣僚として入ったのでは、仮に森内閣が頓挫しても、アンチテーゼとはなりません。その程度の理屈が、なぜわからないのか。閣内にいれば首相の椅子に近いと勘違いしたのか、まったく理解できません。 自民党はこれからも止めどもなく狂っていくことでしょう。この党には、1日も早く引導を渡さないといけない。国民が困ると同時に、この国全体がおかしくなってしまうからです。 いままた、KSDや外務省の機密費を巡る対応で、自民党の体質が問われています。私に言わせればこれらの問題は、料理が出来たあとの仕上げのソースみたいなもの。自民党は、20世紀にはそれなりの役割を果たしたけれども、もう役割を終えた。21世紀となったいまは、存続すること自体が、むしろ害になっていると思うのです。 自公連立が自民党を変えた なぜ自民党がここまで酷くなってしまったかと考えると、やはり平成11年10月、公明党と連立を組んだときに端を発しているという思いを、改めて強くします。あのときから、自民党の体質が変質し、存立基盤に大きな変化が現れ始めたのです。 ロッキード事件やリクルート事件など、これまでも自民党には大きな疑獄事件・スキャンダルがありました。でも私は、離党を考えたことなどありませんでした。それらはあくまでスキャンダルであって、司法が断罪すればいいこと。ところが公明党との連立は、党としての路線の問題なのです。 なぜ私が公明党との連立に反対なのか、説明しましょう。公明党は創価学会と一心同体、というより正確には、創価学会の支配下にあるからです。その実態が、「いかなる宗教団体も政治上の権力を行使してはならない」と定めた憲法20条に違反するからです。その公明党と連立政権を組むことは、国民の思想・良心・信教・原論・表現の自由を守り拡大するという自由主義政党が取るべき目的と、相反するからです。 自民党に、平成8年の総選挙で、わずか900票あまりの差で敗れた候補者がいました。「今度こそ」と捲土重来を期し、本人も努力し周りも努力してきました。ところが去年、選挙が近づくと、党本部が「お前は出るな。公認をやらない」と言い出した。その選挙区に、公明党の候補がいるからです。いったい、血の通った生身の人間を何と考えるのか。これはもはや、自由主義政党として根本が狂っているとしかいえないでしょう。 私は、離党を考えたことが、この間に3度あります。1度目がこの話を聞いた頃、総選挙の1ヶ月くらい前でした。加藤紘一氏に話すと、
それで思い止まりました。 ところが現実はそうならず。2度目は11月でした。あと3日もすれば新党立ち上げの発表が出来るというとき、時を同じくして加藤氏のあの行動があったのです。 加藤騒動―私はあえて騒動という言葉を使うのですが、あれは、加藤氏が自民党に引導を渡そうとして起こした行動だったと思っています。それがああいう結末に終わってしまったというのは、もちろん加藤氏にとって残念なことでしょうが、ある意味で加藤氏以上に私にとって落胆した、悲しい出来事でした。10日間くらいメシも食えない、放心の日々を過しました。 あのあと私のホームページに「白川がいれば、あんな結果にならなかったはずだ」と書き込んでくれる人が多くいました。そう言っていただけるのは有り難いし、私がいたならあんな無様な結果にさせなかったといういささかの自信もあります。最悪でも、加藤氏と2人ででも本会議場に行って賛成票を投じ、除名か何か知りませんが甘んじて処分を受けたでしょう。 それはなぜか?あの時点で加藤氏が言った森首相の退陣要求は、まさに国民が発した声でした。幹事長まで務めた派閥の領袖が、野党の提出した内閣不信任案に賛成票を投じる。それは自民党の論理より国民の論理を重んじる行動でした。国民の声を受けて実行するのに、何も憚る必要はなかったのです。 加藤氏やその取り巻きには、そこが読めなかった。バッジ族を何人集めるか、という計算しかできなかったのが敗因です。国民の中の賛同者がどのくらいいるのか、そこに思いが至らなかった。本会議場の多数決で不信任案が通るか否か、は問題の本質ではなかったのです。 あの騒動は、加藤氏本人が意識したかどうかは別にして、自民党のリベラル派の決起でした。自由を愛する国民の多くは、あの人たちに最後の期待をしていた。ですから加藤氏の行動に、あれだけの期待が集まったのです。この人たちの期待を、加藤氏も自民党も完全に裏切ってしまったのです。 加藤氏が自滅しなかったならば、日本の政治はあそこから、大きく変わったはずです。 自民党のリベラル派を支持していた層は、政治的・経済的・社会的に良質といわれる人たちです。加藤騒動が鎮圧されたことは、この人たちをも鎮圧してしまったことを意味します。自民党リベラル派をこれまで支持してきた人たちは、今回の1件で自民党支持をやめるでしょう。 加藤氏や同氏と行動を共にした人たちは、これからも自民党の中で改革を目指すと言っています。しかし世間は彼らを、もはや殲滅されたと見ているわけです。もしまだ死んでいないのなら、いまこそ声を上げていただきたいと思います。 無党派は無関心層とは違う 加藤騒動が終わってから2ヶ月半、ずっと考えて出したのは「やはり私がやらなければ駄目だ」という結論です。私がやれば、必ず結果が出てくる、それがいま、政治家白川勝彦に与えられた使命だと心得て、今回の自民党離党・新党結成という決断を致しました。 私はこの数年、自民党の選挙実務に関わってきました。選挙のことは誰よりも知っているし、成果もあげてきました。そんな私がいちばん関心を払ってきたのが、無党派という存在です。世論調査上、同じ「支持政党なし」でも、無党派は無関心層とは違います。無色透明の存在ではありません。無党派とは、基本的には反自民、反自公保色が極めて強い人たちです。 無党派を敵に回しては勝てない、というのが、当時幹事長だった加藤氏と、総務局長及び団体総局長の職にあった私の共通認識でした。ところがいまの自民党は、無党派を完全に敵に回しています。 逆にいうと、無党派の人たちにアイデンティティーを感じさせる政党が出現すれば、短期間に大きな勢力に成長することができます。政界再編成がさかんにいわれますが、国民の多くがアイデンティティーを感じられる政党を作る試みこそ政界再編だ、と私は思っています。 自民党が総選挙で敗北し、長野と栃木の県知事選、東京21区の補欠選挙で自民党の推す候補が敗れたのは、偶然ではありません。 中でも栃木県知事選です。長野の田中康夫さんや東京21区の川田悦子さんは、あれだけマスコミが大きく取り上げれば、普通は勝つものです。しかし栃木の福田昭夫さんは違います。マスコミの援護がなかったのに加えて、保守王国といわれる土地柄です。栃木県知事選は、自民党の選挙常識からみれば、一種の革命です。 新党の「結党宣言」に私はこう書くつもりです。
リベラルな政治を看板に掲げて25年間、リベラルの1点だけは私は妥協したことがありません。その政治活動のすべてを賭けて、今回の行動を起こしたわけです。 いまの日本の状況は、幕末に似ています。政治家はみんな政党や派閥に属していますが、それらはあまりに古く硬直しています。政党や派閥を内側からリフォームするくらいでは、新しい世の中に適応できません。 幕末の志士たちがそれぞれの藩を離れて日本という国を考えたとき、明治維新が始まりました。まったく同じことを、いま政治家は考えなければなりません。自由を愛する政治家は、自民党とか民主党とかの枠組みの中で物を考えるのではなく、己を束縛する政党からも自由でなければならないのです。 明治維新前夜に例えるならば、禁門の変で長州藩の攘夷派は敗れ、そして、長州征伐が行なわれ、長州藩は佐幕派の天下となりました。加藤騒動で良識ある自民党議員が殲滅された現在と、よく似ているではありませんか。 まず、自公保の議席を減らせ 晋作曰く、 白川新党は、“平成の奇兵隊”でありたいと考えています。参集者は、有名無名を問いません。政治経験の有る無しも問いません。日本の将来を憂い、旧体制の打破を願い、自由を愛し、高潔な志をもつ人々が結集して、維新を成し遂げようとする集団でありたいのです。 具体的には、できるだけ若い人を10人擁立して、この夏の参院選に臨むつもりです。当座は、私が代表を務めます。選挙のことも、世の中のことも若い人に比べれば多少は知っていますから。しかし私は、リベラルという新しい旗を高く掲げる存在にすぎません。船頭であり、掃除役でいいのです。 今年夏の参院選で、ただちに政権が取れるはずはありません。しかし古いものを壊せば、新しい何かが必ず生まれてくるものです。 まずは自公保の議席を、限りなく減らすこと。これは可能でしょう。そしてただちに、衆議院選挙に結びつくはずです。その結果3年以内に、自民党は政権党ではなくなり、5年後には、どうでもいい政党になっているでしょう。またそうしないと、この国の21世紀は始まらないのと考えるのです。 |
*本文中の「ホームページ」は誤用ですが、掲載誌のまま掲載しています。
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