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憲法が定める政教分離の原則に反する行為 私が自民党と公明党との連立に反対する第一の理由は、公明党が政権に参加することは、日本国憲法二十条一項の「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」という規定に明らかに違反すると考えるからです。 公明党という政党は、創価学会がなければ存在しません。その存在自体を創価学会に依存している公明党は、池田大作氏を絶対的権威者・最高指導者とする創価学会に事実上支配されている政党です。このことは、ほとんどの国民の共通した認識ではないでしょうか。このように創価学会とまさに一心同体の公明党が日本の政治権力に参加することは、「いかなる宗教団体も、政治上の権力を行使してはならない」という規定にもろに違反することではないでしょうか。これが憲法違反にならないなどといっているのは、創価学会=公明党だけだと思います。 自民党が公明党と連立政権を組むということは、この憲法に明らかに違反する状態を自民党の意思として作ることであり、憲法違反の行為に加担することにほかなりません。自民党は、改憲政党といわれてきましたし、党内には改憲を強く主張する人々もたくさんいます。しかし、憲法を改正するまでは、憲法は厳に守らなければなりません。こんなことは、小学生でも分かることです。いやしくも天下の公党が、憲法に違反することをやってはいけません。ましてや、わが国でもっとも大きな政党がこれをやったのでは、日本は無法国家となってしまいます。 自由主義政党としての自滅行為 自公連立に反対する第二の理由は、公明党と連立を組むということは自民党の立党の精神に反することだからです。いうまでもなく自民党の正式な名称は、自由民主党です。自民党は、名前からして自由主義を党是として掲げる政党です。このことを否定する人は党内いないはずです。自由主義政党の対極に位置する公明党と連立を組むということは、自民党と共産党とが連立を組むのと同じほど矛盾しているからです。 自民党と共産党の理念や政策の違いは明らかです。ですから、自民党には共産党と連立を組もうなどという人はいません。いっぽう公明党は中道政党といわれているだけに、政策的には自民党とそんなに隔たりはないように思われがちですが、政党にとって政策と同じくらい大切な公明党の理念や体質は、共産党にそれと同じくらい自民党の対極にある政党なのです。 公明党は、自由主義とは縁もゆかりもない理念と体質をもつ政党なのです。これは、公明党の宿命でしょう。このような政党と政権を共にし、選挙を共に戦うということは、自民党がこのような政党を是認し、そのような理念や体質を許容することにほかならないからです。これは政党にとって、政策をまったく異にする政党と連立するのと同じほど、やってはいけないことなのです。 政党にとって政策は大切なものです。しかし、それと同じくらい大切なものが、政党の理念や存立基盤です。そこをキチンとしていかないと、いくら立派な政策を掲げてもそれを実行することができません。党の理念や存立基盤をまったく異にする政党と連立を組むと、自民党の理念や存立基盤が変質せざるをえないからです。現に公明党と連立を組んでから、自民党の生き方・体質が変質し、存立基盤に大きな変化が現れています。総選挙での敗北後も、長野県知事選挙や東京二十一区の衆議院補欠選挙や栃木県知事選挙などで自民党が推す候補が破れたのは、単なる偶然ではないと私は考えています。 保守政党としての誇りすら放擲(抛擲・ほうてき) 自公連立に反対する第三の理由は、公明党との連立は保守政党の風上のもおけない信義にもとる、誇りを失ったことだからです。 自民党が保守政党であるということを否定する人は、誰もいないでしょう。自民党には、保守政党として最低限まもらなければならないことがあるはずです。 自公連立に反対する前に述べた二つの理由は、かなり理屈っぽいものです。自民党は、こうした理論や理屈ではなかなか動かないところがある政党です。しかし、誰もが否定しない保守政党という面からみても、自公連立は自民党の生き方にもとるものと言わざるを得ません。保守主義とは何か。実はこれを議論すると難しいことになるのですが、ここではやめます。また、自民党は保守政党だという人々も、そんなに難しく考えてそういっているわけではないでしょうから、その必要もないでしょう。 普通の意味における保守政党である自民党がいちばん大切にしなければならないのは、人間としての信義です。公明党との連立は、これまでの自民党のいってきたことと矛盾しないか、これまで自民党を支えてきた人たちとの信義を失うことはないか。胸に手を当てて考えてみれば、恥ずかしく到底できることではないと、私は思っております。 ある、笑いたくなるようなお話 典型的な例を一つだけ挙げましょう。自民党は、平成八年十月に行われた総選挙において、新進党対策として政教分離ということをかなり派手にキャンペーンしました。その内容は、私が第一の反対理由として述べたことほとんど同じものです。このキャンペーンの総大将が、自民党の組織広報本部長であった亀井静香氏です。亀井氏は、「憲法二十条を考える会」の会長として宗教団体にむけた平成六年二月十八日付書簡のなかでこういっています。
これが、自公保連立の中心人物の一人である亀井氏の言動であると知ったら、呆れる人が多いのではないでしょうか。さらにつけ加えると、綿貫民輔氏(現衆議院議長)も野中広務氏(現自民党幹事長)も村上正邦氏(現参議院自民党議員会長)も、皆、「憲法二十条を考える会」の役員として名を連ねていたのです。 保守政治家の命は、ドグマや理論ではありません。その人の生き方や言葉が命のはずです。それすらない政治家は、私たちはどう呼べばいいのでしょうか。政教分離ということをこれだけ主張していた政治家が、恥じも外聞もかなぐり捨てて自自公連立─自公保連立に流れていくなかで、私一人くらい愚直に筋をとおさなければ、大自民党には仁義や信義を貫くものは誰もいないのかといわれてもしかたがない。せめて、その一人でありたいという思いが、私にはあります。戦うリベラルと、自他ともに認める私には、あまり似つかわしくないことかもしれませんが、私も保守政治家である以上、こういうことは理屈や打算抜きで大切にしなければならないと思っております。 保守政治家の大幹部とされるこの人たちですら、このとおりですから、あとは推して知るべしです。保守主義者としての誇りも生き方も放擲した自民党の国会議員の圧倒的支持を受けて、小渕首相は自自公連立へと進んでいきました。 それから一年有余が経過しました。現在の自公保連立には、権威と品位がないといわれています。この連立のなかで自民党がいくら圧倒的比重を占めているといっても、保守政治家としての誇りも信義も捨てた人たちによってこの選択が行われたのですから、権威や品位がでてこないのは、当然といえば当然のことではないでしょうか。 幸せのなかで堕落した自民党 自民党がもっとも大切にしなければならない独立自尊の精神を失い、自民党の支持者にさえ失望を与える、公明党と連立政権を組むなどという不甲斐ない状態になったのはなぜか。それは、自民党があまりにも長く政権党だったからです。今日の先進自由主義国のなかで、自民党ほど長く政権党であった自由主義政党はありません。これが、自民党を堕落させてしまったいちばん大きな原因です。 いつの時代も、どこの国でも、政権というものには甘い蜜を求めて有象無象が集まってくるものです。そんなことをどうこういうほど私は単純な理想主義者ではありません。そうした有象無象も呑みこんで政権基盤を強化するたくましさがあっても、それが現実の政治というものだと思います。しかし、民主主義の国では、政党は選挙によってはじめて政権を得ることができるのです。最初から政権党であることが決まっている政党などどこにもありません。もしあったとしたら、それは独裁国家です。 政権に群がる有象無象には、政権を補強はできても政権を生み出す力はありません。政権を生み出す力は、その政党の理念や政策や生き方にあるのです。その理念や政策を支持する国民によって選挙に勝ちぬいて、はじめて政権を手にすることができるのです。政党の命は、理念であり政策でありその党の生き方なのです。 しかし、自民党はあまりにも長く政権党であったために、政権に集まる有象無象の比率が高くなりすぎ、自民党を勝利に導く理念や生き方の発信ができる政治家が少なくなってしまいました。いまや自民党の唯一のセールスポイントは、政権党であるということだけになってしまいました。政権は選挙によって与えられるものです。その選挙のとき、自分の党が政権党であることしか訴えることしかできないとするならば、自己矛盾の最たるものです。そのような政党が選挙において政権を得ることは、早晩不可能になるでしょう。 危機に立っている自民党 いまの自民党の執行部を牛耳っている政治家は、政権を作ることに汲々とする単なる小細工師でしかありません。無理に無理を重ねて政権を維持する。その結果、長年の支持者すら失って議席を減らす。そうするとまた無理をして数をかき集める。今回の加藤騒動の鎮圧にあたっても、自民党の執行部は21世紀クラブや無所属議員から反対票をとるためにいろいろな手を使いました。これなどもその一つでしょう。経営困難に陥り自転車操業となってしまった企業のようなものです。こういう政党が経済対策をいくらやっても景気が回復しないのは、当然といえば当然なことなのかもしれません。 自民党にいまいちばん必要なことは、立党の原点に立ち返って自由主義の本旨に基づいた政策を企画立案し、果断に実行することなのです。自由主義政党らしい党風を振興し、自由民主党にふさわしい政治家を集め、その理念と生き方を各選挙区で発信することなのです。それ以外に自民党が生きのびる道はありません。この努力を放棄して延命だけに汲々としていたのでは、与えられた寿命すらまっとうできないでしょう。 無理で不自然な自公保連立を進めることにより、自民党は、先人が築いた遺産まで日々食いつぶしています。だったら、いちど落ちるところまで落ちてみたら、といいたくなります。1993(平成5年)の野党転落のときは11ヶ月で政権党に復帰できましたが、こんどは、その保障はまったくありません。私は、野党になった自民党の政権復帰のためにいささかの努力をした者ですが、それがどんなに困難なものか、誰よりも知っているつもりです。現在の自民党にそのような人士はいません。また、いたら自公保連立などというこんな愚かなことをやっているはずはない、と思っています。 いま、自民党は大きな危機にあります。このことに気が付かないようでは、自民党はそう遠くないうちに自滅するだけです。 |
白川勝彦OFFICE
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