口を開けば「改革!改革!」と叫ぶ小泉首相だが、諸改革の中で、経済の再建のためにも、社会・文化生活の質的向上のためにも、また政治改革のためにも、インターネットの普及は喫緊の課題であり、IT革命の一つの大きな柱である。
ITのことを「イット」といったのは、小泉氏の指南役を自認する森前首相であった。就任早々、メルマガを発刊して大きな話題を呼んだ小泉氏だが、何のことはない、内閣広報の一つに過ぎなかった。小泉氏は、個人的にインターネット・メールを使ったことがないのであろう。内閣広報室の役人は喜んでいるかも知れないが、少なくとも、メールマガジンをあのように使ったのでは、本当の価値はない。第一、メルマガはモノによってはいまやスパムと紙一重の迷惑媒体。あのメルマガも、自民党政権の送信するスパムに成り下がりそうだ。
郵政大臣をやった小泉氏。郵政事業の民営化には関心をもっていたのかもしれないが、郵政省が高度情報社会をつくる担当官庁だという基本認識すらなかったのかもしれない。郵政事業は伝統的分野だが、当時、電気通信分野は郵政省のフロンテイアであり、予算は言うに及ばず、人材も態勢も非常に心もとない状況だった。郵政省に敵意をもっているのではないかと受けとめられていた小泉郵政大臣に、電気通信を担当する役人が心を寄せるはずがない。彼らは、やはり郵政省の役人なのだ。
インターネットが普及すれば、政治がどのように変わるか、また変わる可能性があるのか。真面目な政治家にとっていま一番大きな負担になっているのが、政治広報費なのである。日々の政治活動 ─ 特に、選挙が近づくとこの政治広報の費用が莫大にかかる。個々の政治家や政党が集める政治資金の大半は、実は政治広報に使われるから、インターネットはこの負担を劇的に軽減する可能性に満ちているのである。
韓国の先の大統領選挙で、ノ・ムヒョン候補がインターネットを駆使して接戦を制したことはわが国でも知られている。ノ・ムヒョン候補も決してカネのある候補ではなかった。ただ、韓国のインターネットの普及率は日本をはるかに追い越し、いまや世界のトップレベル。インターネット先進国だからこそそれが可能であったことを、私たちが見逃してはならない。{詳しくは、「リベラルこそ、21世紀の政治理念」の第4項の<無党派が求める政治的自由とその可能性>を参照}
私は郵政政務次官をやり、その後、高度情報社会作りに携わってきた者として、自らの政治活動にもインターネットを取り入れようとWebサイトを開設し、真面目なサイトづくりを心掛けてきたつもりである。しかし、平成12年、新潟6区という限られた小選挙区の選挙では、実際の選挙にはほとんど効果がなかった。
平成13年の参議院比例区の選挙においては、それなりの役割を果たしてはくれたが、票の獲得という面からいえば、率直にいって期待していたほどの成果をあげることができなかった。まだまだ、インターネットでカバーされる層は少ないし、年齢などにかたよりがあり、選挙ー票の獲得の面ではあまり過ぎた幻想を持ってはならないのだろう。要するに、やはりインターネットの普及率は、まだまだ低いということである。いくらいいサイトを作っても、大部分の有権者に観てもらえなければ、どうにもならない。
インターネットの普及のためにまず第一に必要なことは、広帯域のインフラを全国に均等に整備することである。一つはFTTH、つまり光ファイバーであり、もう一つは、設置コストの安い無線による接続システムである。私はPHSを使った無線の携帯端末を使ってプロバイダーに接続しているが、この前、新潟県十日町市でメールを発信しようとしたら、思うようにつながらなかった。これは、一般の携帯電話が普及したために、PHSのアンテナが少なくなってしまったことが原因だと聞かされた。十日町市でも、PHSのアンテナは減ったものの、一方に、ADSLやFTTHといった通信インフラの地方での普及の遅れという問題がある。環境を阻害する方向にだけはすばやく動き、発展する方向での動きは鈍いのである。さらには、いかなる方法であるにせよ、無線による接続方法はきちんと確立され、また、継続されなくては困る。特に地方 ─ 農村部や山間部の様々な分野で有効利用しようとすれば、無線による情報収集手段は不可欠なのだ。
次は、料金であろう。随分安くなったとは思うが、私のように地方で無茶苦茶なアクティビティで使う者にとっては、決して安いとはいえない。また、割引時間制をとっていた名残でもあるのだろうか、未だにテレホーダイの時間帯になるとなかなかつながらないなどという、笑えない現状がある。世界第二の経済大国で、なぜそのようなことがあるのか、IT先進国の人々には訝られるであろう。まさに政策の貧困である。
国がイニシアティブを発揮すれば、インターネットインフラとしての端末機器の定着を図ることは十分可能である。かつては、機器を安くすることも大事なことだった。私の家内などは、いまでも私の使い古しのWindows95*を使っている。接続は普通の電話線だから、私の機器に比べてはるかに遅い。インターネットではないが、ミニテルを普及させるために機器をほとんどタダ同然で配ったのはフランスだ。同時に起こっていた日本のキャプテンシステムは、機器代金と通信料金の二つの高い敷居に対して、貧相なコンテンツで頓挫した。銀行預金が操作できず、僅かに郵便振替口座がいじれたところで、人々にどれほどの魅力があっただろうか。今や、Lindowsに見られるように、一応、機能を制限した端末機器は相当安くなっているし、一方で、その用途は無限に拡大してきている。
また、インターネット端末機器の使い勝手をもっと良くすることである。私など、Webマスターがセットしたものを使うことでは、それなりにできる方だと思っている。しかし、これがちょっとおかしくなったり、少しでも新しいことをやろうとしたら、もうどうにもならない。いくらヘルプを見ても、何をいっているのか全然分らず、電話で教えてもらうしかない。誰でも簡単にインターネットで情報を得たり、電子メール通信を行ったり、或いはパソコンを操作できるように、関係者はもっと工夫をしてもらいたいと、いつも強く感じている一人である。
インターネットを普及させるためにもう一つ大切なことは、Webサイトを開設する側の自覚と責任だと思う。アクセスするだけの価値のある情報を常に提供することこそが、その責任である。政治家のサイトなど、ただWebサイトを開設しているというアリバイのためのサイトがたくさんある。こういうことをしているから、有権者に「インターネットを通じて政治を考えよう」という雰囲気が、なかなか生まれないのだと思う。私も、自重・自戒しなければならないと、いつも言いきかせているつもりである。
このような状況をつくる原因の一つに、わが国においてはインターネットを支える人的基盤が極めて脆弱であるとことを指摘しておきたい。良いWebサイトを作るためには、そして、それが常に閲覧可能な状態に保たれるには、良い人材が必要なのである。国の政策として、このような人たちを育てなければならない。また、この人たちの身分や収入を安定させなければならない。
極めて事務的なことであり、政府がやろうと思えばすぐにでも実行可能なことが、制作用のコンピュータの減価償却期間の問題などである。短縮されたとはいえ、三年ではまだ長い。ハードディスクの平均寿命は二年程度と聞き及ぶ。ならば、二年が妥当なのではないか。日々進歩する環境に見合ったコンテンツを作成し続けてもらうには、それに見合ったマシンやソフトウェアが必要となるのもまた自明であるし、そうした人々を育成する環境にあっても、最新環境を供給していないと、例えば学校を卒業したところで、即戦力になり得ないのである。さらに、インターネットを支える人的資源は、その見返りたる収入の部分に多額の技術取得費用や制作環境維持管理費用を加えて考えるのは、健全な経済活動たる上で至極当然である。
小泉氏は、個人情報保護法を制定したが、これによれば、私もこの法律でいう「個人情報取扱事業者」になる。そして、私のコンピュータの中にある情報は総理大臣の管轄下におかれている。ギリギリの場合、法律上、国は私のコンピュータの中にある情報を強制的に見ることが可能となる。そら恐ろしいことである。{詳しくは「私の通信・インターネット政策について」の政策を参照}
今度の選挙も、選挙期間中、候補者はWebサイトの更新ができない。公職選挙法の改正がなされていないためである。2年前の参議院選挙の時、私は総務省とギリギリのところまで詰めた話し合いをした。総務省の見解が正しいとは決して思わないが、念のため、私は総務省の見解に従わざるを得なかった。その時、早急に法改正を検討すると約束していたのに、結局は2年経っても何も変っていない。こんなにのんびりしたことをやっているから、インターネットの分野で、どんどん他の国に水をあけられてしまうのである。[詳しくは、総務省との闘いの顛末を参照。]
インターネットを普及させるためにいま、急いで整備しなければならないのは、選挙期間中もインターネットを利用できるようにする公職選挙法の改正やスパム防止など、もっと別のことだと私は思っている。まして、小泉内閣の“めるまがゴッコ”などでは、毛頭ありえない。
私のインターネット・メールボックスにはいまでも、明らかに私の政治活動を妨害するためであろう、ものすごく重いメールが、毎日数十本入ってくる。1週間もメールボックスを開かなければ、これをダウンロードするだけで数時間かかる。だから、この一年ほど、私はメールボックスを開かずにいた。同じような理由で電子メールの利用をやめた人が結構いると聞くが、これなどは、インターネットを大事にしようという社会的意識の欠如であろう。
利用者の啓蒙・教育もまた、急がねばならない。情報を検索し、取捨選択し、活用する技術は、受信する側、すなわち、これからの情報社会に参加し生きる者としての基礎である。情報リテラシーという括りで「現代の読み書き算盤」としてパソコンが語られるが、ことはもっと広く、根深いのである。
この前の参議院選挙後、私はインターネットからしばらく離れていた。この2年間にインターネットの世界が大きく変ったかというと、あまり大きな変化は、ないような気がする。「いまだ、道遠し」の感強し、だ。
しかし、インターネットを普及発達させることなく、政治的にも経済的にも文化的にも、世界のトップレベルの国になれないことだけは明らかである。だとしたら、私たちはインターネットが豊かな社会を作ることを信じて、夢を持ってこれを育てる努力をしていかなければならない。
今回の新しい戦いにおいても、インターネットが票という面で大きく貢献してくれるなどという幻想をもってはならないと、私は十分注意している。しかし、将来の可能性を信じて、「政治のインターネット、かくあるべし」との自負だけは持って、いささかの努力をしていくつもりである。
そんな私の心意気に賛同して手伝ってくれる若いスタッフが出てきてくれたことを、私は本当にうれしく思う。このことにより、少なくとも過去2回の選挙の時よりも充実した情報を掲載することが可能となったのだから。
「夢は待つのではなく、みんなで育てていくものだ」
と最後に訴えて、小論を終わる。