天は自ら助く者を助く。
09年03月26日
No.
昨日、WBCで優勝した“侍ジャパン”が凱旋した。あの感動的な試合はそれとしても、選手たちはそれぞれのチームに散り、これからはライバルとして闘わなければならない。いっぽうのイチローの方は、どうなのだろうか。まだ同じチームにいる筈の同僚議員からも叩かれている。厳(いか)つい敵に比べればなんとも軟弱なメンバーだが、それでもこういう場面では堪えのである。
もう検察は大したことはできなくなる。闘いの場は法廷に移る。法廷闘争では、関係者と称して都合のいいことを勝手に流す訳にはいかない。「刑事事件としては大した事件でない」と私は最初から言ってきた。公設第一秘書の刑事事件を丹念に追って行けば、逆に小沢事件の本質は明々白々になるであろう。小沢事件の本質は、検察や警察を使って政敵を抹殺するという卑劣な行為なのである。このことに怒りを覚えないような人を私は信用することはできない。このことと戦おうとしない野党など、私は野党とは思わない。
警察や検察の横暴に泣かされた国民は多い。国家公安委員長を務めた私であるから、警察や検察の存在と役割を否定する筈がない。しかし、私は治安関係の最高責任者を務めた者として、警察や検察に言いたいことがある。それは治安問題に国民も関心をもっているということである。国民も治安の良い社会を望んでおり、そのために協力しようと考えているのだ。
国民の理解と協力を得ることができなければ、良き治安を築き上げることなどできる筈はないのだ。そのためには警察や検察に対する国民の信頼が絶対に必要なのだ。彼らも口では確かに国民の理解と協力が必要だと言う。しかし、信頼できない警察や検察に国民が協力する筈がない。ところが、現在の治安関係者はここのところが分っていないのである。今回の小沢事件で、検察は“マスの国民”から信頼を失うであろう。その数は多いが、これまでは“孤立した国民”から信頼を失うことが多かった。このことは別の機会に論ずることにしよう。
始めはすべて困難である。『資本論』冒頭の言葉である。だから、私は3週間ぶっ続けで小沢問題を論じてきた。昨日の自公“合体”政権の幹部らの攻撃をテレビでみた限りでは、大して有効な攻撃をしていたと思われなかった。国民の信頼を失っている自公“合体”政権が調子にのって小沢氏や民主党を攻撃してみたところで、有効打になる筈がない。これからは民主党として小沢問題に立ち向けって欲しい。永田町徒然草はいつまでも小沢事件だけを扱っている訳にはいかないのだ(笑)。
それでは、また。