アメリカのchange(その3)
08年11月08日
No.984
今週も今日で終わりだ。今週はオバマ氏とアメリカ大統領選で締めよう。ひとつのテーマでの3連荘は、この永田町徒然草では特別である。特別なことには特別に対るのが礼儀というものである。正直にいって9月頃からアメリカ通という人たちから、マケイン有利という情報が執拗に入ってきていた。しかし、「アメリカ国民にマケイン大統領という選択はない」という私の考えに揺らぎはなかった。
私がはじめてアメリカを訪問したのは1962年夏だった。私は高校2年生であった。時の大統領は、J.F.K。私はロスアンジェルスのロータリアンの家にホームスティしていた。ロスアンジェルスの裕福な人々が住むビバリーヒルにいた時、マリリン・モンローが自殺した。マリリン・モンローの家と私が滞在していた家は近くにあった。高校生だった私はマリリン・モンローとJ.F.Kの親しい関係など知る由も知らなかった。翌年の秋、J.F.Kはダラスで暗殺された。J.F.Kやマリリン・モンローが生きていればいま何歳なのであろうか。
オバマ報道を見ていた時4年前の民主党の大統領候補は誰だったかとふと思った。8年前の大統領選挙はブッシュとゴアの接戦だったので憶えていた。それなのに4年前が思い出せない。テレビも一言も触れなかった。あなたは憶えているだろうか。検索して調べてみたところ、ジョン・ケリーだった。この時すでに、ヒラリー・クリントンは4年後の大統領候補と言われていた。4年という歳月は彼女に味方しなかった。万全の時などというのはないのである。政治の世界は特にそうだ。可能性があったらそのときがチャンスなのである。チャンスは、いつまでも待っていてはくれない。
私は永田町徒然草No.829で「メディアは盛んに“黒人初の大統領”と繰り返していた。私にはちょっと耳障りだった」と述べた。肌の色の違いの重さを私は誰よりも知っているつもりである。多感のとき、アメリカで過ごした経験からである。当時の日本人(中国人や韓国人を含めるアジア人)にも、黒人と同じような差別があった。国会議員になってからアメリカを何度も訪問した。当時の日本の経済は絶好調、逆にアメリカの経済は最悪であった。日本人が肩で風を切ってアメリカを闊歩していたが、私は17歳の時の体験が忘れられなかった。
貧困に色などない。黒人の貧困も白人の貧困も、貧困は貧困である。貧困に国境の違いはない。アメリカの貧困も日本の貧困も、貧困は貧困である。わが国には、年収200万円に満たない勤労者が1000万人もいるという。ある人から聴いた話だが、サブプライム・ローンで不動産を購入した者がローンを返せなくなって不動産を手放した場合、銀行は債務をそれ以上追及しないのがアメリカの商習慣なのだそうだ。日本は違う。住宅ローンで不動産を購入し、これを手放しても残債が残れば、銀行はどこまでも追いかけてくる。
私は毎日多重債務の相談を受けている。住宅ローンでマンションを購入した人も多い。購入したマンションを売却したらいくらになりますかと尋ねる。首都圏の場合、残っているローン残高よりも低いという。現に住んでいるマンション等を手放しても売却益が出ないのならば、手放す必要がない。マンション等を手放せば、アパートなどを借りなければならない。その場合、家賃の方が高くなる。住宅ローンの債務には介入せずに、消費者ローンだけ整理する場合が多い。サブプライム・ローンはアメリカだけの問題でないのである。いや、わが国の現状はより深刻なのである。
オバマ次期大統領が全世界へ放ったメッセージは、日本にも及ぶ。いま、日本も貧困に喘いでいる。この貧困からの脱却が、わが国の政治の課題である。真面目に働いても年収200万円にしかならないというのは、どこか狂っている。一度就職できたら犯罪でも犯さない限り、クビになることなどあまり心配する必要などなかった。だからといって、日本の勤労者はそんなにいい加減な仕事振りだっただろうか。最近ではいつクビになるのかとビクビクしている。こんな雇用環境でいい仕事などできる筈がない。こんなことが分からない経営者を私は有能な経済人と呼ぶ気になれない。
リゾートの勉強をしていたとき、ヨーロッパやアメリカの労働者は年金生活に入るのを楽しみにしていると聞いて驚いた。年金で生活しながら田舎暮らしを楽しんだり、旅行を楽しむのが彼らのひとつの夢なのである。わが国でも決して若くはない欧米の老夫婦を見かける。彼らの行動を仔細に観察すると、どう考えても豪遊とは思われない。たぶんこうした年金生活者なのであろう。だから定年延長などという要望はないという。わが国では年金支給年齢がどんどん上がっていく。年金に対する不安は増大している。ちなみにわが国のリゾート地にはペンションと呼ばれるモノがある。pension とは年金・扶助料という意味である。
年齢が高くなれば病気がちになるのは避けられないことである。急速に高齢化しつつあるわが国で医療費や社会保障費が増えていくのは当り前のことなのである。社会保障費を削減することなど時代認識がないのである。その代わり公共事業費などは削減してもよい段階に到達した。永田町徒然草では2月から4月まで連日“道路特定財源の暫定税率”について論じた。自公“合体”政権はこうしたことが理解できないのである。貧困からの脱却は、莫大な有効需要を生むというヒントはここにある。マネーゲームに狂奔する“経済人”にはこういうことが理解できないのであろう。オバマ氏の当選が確定したのにニューヨークでも日本でも株価が落ちた。マネー経済の動きは不可解である。
オバマ氏が民主党の大統領候補に指名されたのは、2008年6月4日であった。その時から私は「オバマ氏はたぶん大統領になるであろう。アメリカ国民にマケイン大統領という選択はないのではないか。困難だがアメリカの能動的な選択としてはオバマ大統領という選択しかないのではないか」と考えてきた。9月末から10月に入ると両者の支持が接近しているとの報道があったが、私はこの予測を変えるつもりはなかった。オバマ氏に当選してもらいたいと思っていたからである。どうも危ないらしいなどということは、選挙では微妙に影響するのである。たとえそれが海外の声であっても。
マスコミからも民主党からも自民苦戦・民主躍進という声が伝わってくるが、民主党を中心とする野党が必ず勝つという確信を私はもてないのである。自民苦戦というのは当り前のことである。自民党・公明党が議席を減らすことなど問題ではない。民主党を中心とする野党が過半数を制することができるかどうかなのである。総理大臣指名選挙で勝てるだけの議席を確保できなければ勝利とはいえない。
私がみるところでは、それだけの議席を確実にとれる段階にはまだ達していない。だから議席予想をしてみる気もないのである。自公“合体”政権は迷走を始めた。私たちが心配するほとオバマ陣営とクリントン陣営が戦ったように、野党はガンガン責めたてなければダメである。金欠だというのならば、率直に国民に支援をお願いすればよいではないか。
それでは、また。