ところで、公認責任は・・・1?
08年08月29日
No.914
私はまだ63年しか生きていない。8月にこんなに長雨が続いた記憶をもっていない。しかも昨日から未明にかけて豪雨があった。東京ではもう10日間くらい雨模様の日が続いている。お陰さまで暑さからは完全に解放されている。あんなに“暑い、猛暑だ”といっていたのに、「このまま秋になるんですかねぇ・・・」などという人もいる。人間なんて勝手なもんだ。万事が自分たちの思うようにならないとすぐボヤく。お天道(てんとう)さま・神さま・仏さまは、人間だけをみている訳にはゆかないのだ(笑)。
昨日、民主党の3人の参議院議員が離党し、5人の参議院議員が新党を結成すると発表した。「自公“合体”政権か、野党か」の乾坤一擲の戦いを始めようという矢先、あまり愉快な話ではない。幸先(さいさき)が良くないというやつだ。荒井広幸参議院議員は、平成16年参議院選挙の比例区から自民党公認で当選した議員である。郵政族であったために、郵政民営化法案に反対して離党し、田中康夫氏を党首とする新党日本を結成した。しかし、昨年の参議院選挙前にその新党日本からも離党していた。
渡辺秀央参議院議員は、昭和51年に新潟県3区で当選した自民党衆議院議員である。私が初当選した選挙のひとつ前の選挙であった。同じ新潟県選出の衆議院議員であったので、いろいろな付き合いがあった。渡辺氏は平成5年の総選挙で落選した。平成8年から衆議院選挙は小選挙区制になった。新潟県は6つの小選挙区に分かれた。現職優先の原則があったので、渡辺氏には自民党公認で立候補する小選挙区がなかった。
当時私は自民党新潟県連の会長であったし、自民党総務局長でもあった。現職優先の原則がある限り、私としてはどうしようもなかった。渡辺氏は無所属で新潟県4区から立候補したが、惜敗した。その後、渡辺氏は平成10年の参議院選挙で比例区から自由党公認で当選した。平成16年の参議院選挙では比例区から民主党公認で当選した。私が“今こそ政権交代”をスローガンに民主党公認予定含みで平成15年に新潟県5区から立候補した時、渡辺氏のかつての選挙区(小選挙区の新潟県3区は、その全部が中選挙区の新潟県3区)であった関係で助力を頂いた。
大江康弘参議院議員は和歌山県議会議員であったが、平成13年の参議院選挙で比例区から自由党公認で当選した。昨年の参議院選挙では、比例区から民主党公認で当選した。私は個人的な面識も付き合いもない。道路特定財源の暫定税率が問題になった時、暫定税率維持を主張していることで初めてその存在を知った。自民党の二階派会長二階俊博氏と何かと関係が深いらしい。だったら昨年の選挙では“自民党から出して貰っておけよ!”といいたくなる。
姫井由美子参議院議員については触れる必要はあるまい。昨年の参議院選挙で“姫の虎退治”で有名になった人である。松下新平参議院議員とは面識もないし、今回初めてその存在を知った。私の後任であった上杉光弘参議院選挙(元自治大臣)を平成16年の参議院選挙で破り、無所属で当選した参議院議員である。宮崎県の自民党にはいろいろな確執があるようである。“そのまんま東”もそのような確執の中で知事選に当選した。
今日発足する政党の名前は“改革クラブ”だという。どういうキャッチフレーズや理念を掲げるのか知らないが、文章などどうとでもかける。しかし、人間はそんなに簡単に変われないし、変わらない。5人の故事来歴をちょっと述べただけだが、だいたいのことはお分かり頂けるのではないか。だからクドクドと述べることはしない。それはそれとして、民主党には“公認責任”があるのではないか。野党がよく使う、総理の“任命責任”と同じ類だ。大臣の首は取ることができるが、こちらの方はそうはいかない。あまり軽く考えない方が好い。
それでは、また。