伝家の宝刀と政局
08年06月11日
No.835
今日、参議院に問責決議案が提出され、可決されるという。私はこれまで何度か「野党はあまり“モンセキ、モンセキ”という勿れ」と揶揄してきた。民主党をはじめとする野党にとっては、いよいよ“本懐”を遂げることになる訳だが、果たして事態はどう展開するのか・・・・・。
本当の政局というのはあまり深読みするものではない。“時の勢い”で行なわれるものである。参議院で問責決議案が可決されるのは憲政史上初めてだそうだが、あまりにも長い間“モンセキ、モンセキ”と言われ過ぎてきた。国会のこんな終盤で問責決議案が可決されても、政局を動かすことには多分ならないと私は思う。要するにモンセキケツギアンは弄ばれ過ぎたのだ。政局で伝家の宝刀を抜くときはあまり考えすぎては駄目なのである。時の勢いで差し違いを覚悟で抜く気合が肝要なのである。
自民党や公明党は問責決議に法的拘束力がないという。法的拘束力がないというのなら無視すればよいのだが、衆議院で信任決議をすると言っている。信任決議案というのもあまり聞いたことがない。憲法69条は、「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」と規定する。与党が提出しようという信任決議案は、この規定に基づくものであろう。出すことは構わないが、意味のないことだ。
衆議院で信任決議案が可決されたからといって、参議院の問責決議案が無効になったり取り消されるという訳ではない。福田首相を衆議院は信任し、参議院は信任しないというだけのことだ。そんなことは、たび重なる衆議院の再可決で国民にとって明らかなことだ。通常国会で案件がだいたい終わったところで、参議院は問責決議案を可決し、衆議院は信任決議案を可決する。こういうのを茶番、馴合いというのだ。茶番や馴合いから何かが産まれることは多分ないだろう。
政治は命懸けで行わなければならない。国民の命に関わることを決めるものだからだ。私がいいたいのは、現在のわが国の政治にそういう気迫がないことだ。これは野党にも与党にも言いたい。命を懸けてでもやり遂げたいことがないのなら、政治の場から去るがいい。緊張感のない政治からは、何も産まれない。福田首相や自公“合体”体制は、その身を守ることに汲々として漂流している。野党は果たしてどうか。わが国は政治的に大きなものを日々失い、世の中には出鱈目が罷り通っている。これがわが国の政治の実相である。
それでは、また。