政治の空白の間で!?
07年09月08日
No.543
最近、政治の問題を論ずることが難しくなった。それは、安倍内閣がポカをやらないからではなく、何もしていないからである。ボールが投げられてこなれなければこれを打ち返すことはできない。まさに政治の空白である。こんなことでよいのだろうか?良い訳がない。安倍首相はテレビには映るが、その虚ろな表情は、哀れみさえ覚える。いったい彼には人間としての血が流れているのだろうか。そんな安倍首相の続投をこのまま許している自公“合体”政権とは、いったい何なのであろうか。要するに政権党でいたいだけの浅ましい政治屋たちが作っている政権なのである。
それでは、どうしてそんなに政権党でいたいのか? 反体制側の人はよくそれは利権があるからだという。しかし、利権は河原の石のようにゴロゴロと転がっているものではない。多くの人間が政権党でいたいと思うのは、政権党だと世間の人がなんとなくエラく見てくれるからである。なにもこれは国会議員に限ったことではない。地方議員だって同じだ。だから、首長の与党議員になりたがる。世間の人の中でも、いちばんエラくみてくれるのが役人である。役人は与党議員に対しては、「先生、先生」と持ち上げてくれる。政権に影響力をもちたいから与党議員でいるなどというのは真っ赤な嘘である。
与党議員志向の理由は、実はこのように“たわいないもの”にすぎないのである。政権に影響力をもち、何かを変えていこうというのなら、その政治家に何らかの理想や信念がなければならない。いまの自公“合体”政権の政治家に“何らかの理想や信念”を期待することなど、木によって魚を求めるようなものである。安倍首相に理想や理念がないように、安倍内閣の閣僚にどうしてもやらなければならない何かがあると感じさせる者はいない。大臣でいることだけで満足しているようである。もっとも少々志がある者ならば、今回の安倍内閣の閣僚は引受けないであろう。
政治家が政治の役割を果たしていない状態は、それ自体がわが国にとって不幸なことである。わが国としてやるべきことをしていなのであるから、そのツケは近い将来必ずやってくる。それだけではない。政治家が政治の役割を果たしていないと、役人が跋扈跳梁する。役人が意欲をもってやることといえば、権限の拡大や組織の肥大化と相場は決まっている。その過程に深く関与した政治家に役人は利権のおこぼれをちょっと与えるのだ。利権の最大の享受者は役人そのものである。政治家がおこぼれに与る利権などというのは、実はセコイものに過ぎない。
安倍内閣が現在のような状態で続くと役人が跳梁跋扈して、その結果、役人の利権が拡大するだけである。あの虚ろな安倍首相が国政を蔑(ないがし)ろにしている意味は、このような役人の利権構造を増殖させていることなのである。何が改革だといいたい。こんな人物を安穏と総理大臣の椅子に据えておくことは、主権者としての権利と責任を放棄していることでもあるのだ。そうはいっても攻め手はないが、安倍首相や自公“合体”政権に対する“恨(ハン)”のエネルギーを蓄積しておくことが肝要である。そのことをチャンとやっておかないと、国民は“来るべき日”に勝利することはできない。
それでは、また明日。