カリスマ性を放擲した自民党
07年08月11日
No.515
今日からお盆休みという方も多いのでないか。帰省ラッシュが早くも始まっている。昨日、東京は猛暑日だった。よくぞ名付けたものである。とにかく猛烈に暑い。夜は熱帯夜だ。私の部屋の窓は全部開けられているのだが、そよとも涼しい風など吹いてこない。ベッドの周辺全体はねっとりした生暖かい空気で満たされている。ここまでくると、いささか辛い。そんな中、意地になってupdateする方も大したものだが、これにアクセスするほうも大したものである(笑)。
今回の参議院選挙の結果、呪縛から解放されるのは創価学会会員だけではない。自民党の硬い支持母体とされてきた建設業界などの各種団体も同じである。自民党には何があっても自民党支持という団体がかなりあった。自民党を支持していても自民党は自分たちを平気で切り捨てている。そうである以上、もう自民党を支持する義理はないだろうという動きが今回の選挙で明らかにあった。いかなることがあっても自民党を支持しなければならないという呪縛から解放されて、ギブ・アンド・テイクの関係に劇的に転換したのである。これが1人区における自民党6勝23敗のいちばん大きな原因だと私は思っている。だからといって自民党や公明党がいままでのようにギブの政策を行うことは、財政状況その他の理由でもはや不可能になっている。
さらに重要なのは、多くの国民が政権を担当できるのは何も自民党だけではないと思い始めたということである。これも政権政党は自民党しかないという呪縛からの解放といってもよいと私は思う。なんといっても50年以上にわたって自民党だけが政権党であった事実は重い。細川・羽田非自民連立政権が11ヶ月で崩壊した事実も重い。結果として政権担当能力があるのは自民党だけだという認識が国民の間にあった。自民党のカリスマ性といってもよいのかもしれない。有効な統治のためにカリスマ性は否定されるものではない。
自民党のそれなりの中枢にいた者からみれば、政権担当能力をもった唯一の政党は自民党しかないなどということは虚構以外の何ものでもないのである。しかし、世間が勝手にそう思ってくれることは有難いことであった。賢明な自民党の指導者は、少なくともこの虚構を崩すような愚かなことは慎んできた。それはカリスマ性がもつ政治的価値を知っていたからである。しかし、郵政造反議員の復党問題からはじまり宙に浮いた5000万件の年金記録・赤城農水大臣の問題発言と言動でとどめを刺された一連の安倍首相のパフォーマンスは、あまりにもお粗末なものだった。それは安倍首相の政権運営能力を疑わせるだけでなく、これを許容している自民党の政権担当能力にも疑いをもたせていった。
また自民党としては気を使ったつもりなのであろうが、公明党を必要以上に政権与党として露出させたことも災いした。創価学会や公明党がどのように言おうが、創価学会と公明党は一体のものと国民は捉えている。創価学会や公明党に対する反感や拒否感は依然として強い。テレビなどの討論番組で自民党と一緒に与党席に座って政権党であることをしたり顔で自慢している公明党議員をみて、国民は政権党というカリスマ性に疑いをもち始めたのである。公明党に政権与党が務まるくらいなら民主党をはじめとする野党にも政権を担当することができるのではないかと感じたのである。
すべてのコインには、表もあれば裏もある。創価学会・公明党を味方につけた自民党は選挙において一時的は強くなった。しかし、多くの人たちの信用や好意がないばかりか、逆に強い拒否感や反感のある公明党と一体となった姿を露出することによって、自民党はそのカリスマ性を失っていったのである。力だけで統治を行っている典型が軍事政権である。力だけでも統治できないことはないが、それは大きなエネルギーを必要とする。賢明な統治者はこのような愚かなことをしないものである。今回の安倍首相の居直りは、このカリスマ性をさらに失わせるに十分なものであった。
自民党は公明党の腕力に過度な期待をもち過ぎたのだ。確かに創価学会・公明党は強力な組織と謀略をも行える力をもっている。最近では自民党も創価学会党化したので同じような詐術や謀略を行う組織となった。しかし、詐術や謀略や腕力でわが国の統治を行うことなど所詮無理なのである。自民党と公明党がもっている腕力と手練手管を駆使しても、自公“合体”政権は今回の危機を乗り越えることはできなかった。自公“合体”政権を弱いとみた国民は、嵩にかかって自公“合体”政権を政権の座から追放しようと迫るであろう。歴史的大敗が歴史を動かすのである。暑いなどといって休んではいられない。
それでは、また明日。