皆、おかしいと思い始めた!
06年11月29日
No.262
このところ古くからの友人と会いはじめ、いろいろな話をすることが多くなった。お互い特別の用がある訳ではない。いわゆる旧交を温めるというやつだ。これまでの私にはこういう機会はきわめて少なかった。忙しい時間を割いて会うのだから、いつも何らかの目的があった。いまだってそういうことがまったくない訳ではないが、これまでだったらわざわざ会って話すほどのことはないということで、電話くらいで終っていただろう。旧交を温める――これは時間と気持ちに余裕があり、ある程度歳を重ねないとできない贅沢なような気がする。
旧交だから、昔から交流のある友人と会う場合に使う言葉であろう。お互いに友人と思える間柄になるには、共通の何かがなければならない。それは同じ価値観や考え方とは限らない。社会生活の中で同じ価値観の人とだけ付き合うことなんてできないし、そんな人生はつまらない。私のように長い間政治活動をしてきたものは、普通の人より数多くの人と付き合ってきた。また私は誰とでもザックバランに付き合う方だったので、私の友人には俗な言い方をすれば右の人も左の人もいる。しかし、どちらの友人にあっても皆んな「最近の政治はおかしい!」というのである。悲憤慷慨しているのである。今回の郵政造反議員の復党などボロクソだ。
それにしてもめでたく復党した造反議員のコメントは、お粗末で惨めなものだった。今回は近年では珍しくマスコミの論調は厳しい。そのせいかマスコミ各社の世論調査で、復党はおかしいという意見が50%を超えている。ようやく”おかしいこと”をおかしいといえるようになったということか。小泉首相の支持率は最高で80数%、平均して60%台はあった。こうなると、自民党の国会議員でなくとも小泉首相のいうことに異を唱えることはできないようになる。小泉氏のいうことに異を唱えると、守旧派のレッテルを貼られるような雰囲気があった。政治改革と称して、小選挙区制が導入された時と同じであった。いまになって日本の政治がおかしくなったのは小選挙区制のせいだという人は多いのだが……。
マスコミが持ち上げた小泉改革など、そもそも改革などと呼べる代物ではなかった。わが国の政治に40年近く係わってみてきた者としていわせてもらえば、小泉改革は日本の政治が達成してきた世界に誇るべき成果を、ことごとく破壊するものだった。国民は肌感覚でこのことに気付いていた筈だ。マスコミが「改革! 改革」と煽りたてるので、これに異を唱えることができなかったのだ。権力者は、いつも何らかのマジックを使うものである。そのマジックの種明かしをするのが、ジャーナリズムの仕事である。マスコミが投射するイリュージョンが、小泉マジックを可能にしたのだ。マスコミの責任は大きい。森田実氏は、「日本のマスコミは政治権力と合体し国民を支配し圧迫する凶器と化した」と激しく批判し、ジャーナリストの奮起を促している。そのとおりだ。私たちはマスコミを警戒し、監視していかなければならない。
安倍内閣は高い支持率で出発したが、安倍首相がおかしなことを言ったりやったりするものだから、「これはなんだかおかしいぞ」と国民は思い始めてきた。内閣支持率もだんだん下がっているようである。私が選挙担当の役職をやっていた時、橋本内閣の支持率は40%前後であった。自民党の歴代内閣は、30%台の支持率があればよしと考えてきた。だから政治については自由闊達に論じる風潮が許されてきた。70%とか80%などという支持率がそもそも異常なのだ。異常な支持率が与党政治家のデリカシーのない発言を許してきた。今回の郵政造反議員の復党劇が、国民がおかしいことをおかしいというキッカケになると、そのツケは大きいと覚悟しなければならない。もって瞑すべし!
それでは、また。