今日は私の誕生日
07年06月22日
No.465
今日で私は満62歳となった。人間60を過ぎると、毎年の誕生日にある種の感慨がある。ひとつは、よくぞここまで生きてこれたという想いである。もうひとつは、あと何回誕生日を迎えることができるのだろうかという不安も入り交ざった思いである。そんなに数少ないとは思わないが、ずーっと先のことだとも考えられない。いずれにしても数えられるくらいの年月であることだけは、覚悟しておかなければならない。
肉体的には、私はまだそんなに歳を感じていない。昨年、「健康生活」をやったことにより、私の体質は大きく変わった。非常に健康となった。若いときに比べ、歳のためにできなくなったということは余りないからだ。褒められることではないが、数日前に述べたように徹マンをやっても特にどうってことはない(笑)。私はもともと老けてみられていた。だから風貌は、昔も今もあまり変わらないと友人たちはいう。歯目何とかといわれるが、歯はまだ全部私のものだ。入れ歯はまだない。目の方は、例の“飛蚊症”の薄い斑点はあるが、あの女医さんがいった通り最近ではほとんど苦になることはない。元々が近視だったためか、老眼の方も全然現れていない。
しかし、62歳というのは若い歳ではない。62年間生きてきた者は、それなりの年輪を感じさせるような生き方をしていかなければならないと考えるようになった。私の生きてきた時代とは一体どんな時代だったのだろうか、ときどき考える。人間は、与えられた時代環境と無縁には生きられない。時代環境が、人間や人格を形成していく。私が生まれたのは、1945年(昭和20年)6月22日である。太平洋戦争のひとつの節目が沖縄戦の降伏だとされる。沖縄戦で日本軍がアメリカに敗れたのが、1945年6月23日である。私はその前日に生まれたのである。日本国民は、きっと沖縄戦を注視していたのだろう。だから「勝彦」と名付けられたのだ。
私が生まれてから2ヶ月も経たない8月15日、わが国はポツダム宣言を受諾して無条件降伏した。その日を境に新しい日本の歴史がはじまった。だから私が育ってきた時代は、「戦後」である。歴史を多少勉強するようになった頃から、私は自分を“戦後第一期生”と自覚するようになった。私は「戦後」と呼ばれる時代の中で生きてきた。物心ついたころには、まだ戦争が何であったかを教えてくれる傷跡がいたるところにあった。私は戦争の悲惨さを感じながら、貧しいが平和の時代を生きてきた。戦後は、また新しい時代でもあった。「戦後」を新しい時代にしたのは、いうまでもなく日本国憲法である。
日本国憲法の価値観が支配する時代が戦後、明治憲法の価値観が支配した時代が「戦前」だった。このふたつの価値観が実生活の中で激しく葛藤するさまを私はみながら育った。新しい価値観の方が私にとって良かった。古い価値観を理解できない訳ではなかったが、新しい価値観の方が私にとっては魅力的だった。司法試験受験のために憲法を勉強することになり、私はそれを通じて自由主義というものを学んだ。そして私は自由主義者としての信念をもつようになった。私にとって日本国憲法は、憲法以上の哲学である。
30歳のときから、私は職業としての政治家を目指すようになった。それは自由主義政治家として自己を確立していく過程でもあった。34歳で衆議院議員となり、どのようなことをすることが自由主義政治家の使命なのかを学ぶ貴重な体験をすることができた。身近で大平正芳総理大臣の生き方をみることができたのは、私にとって人生の至福であった。大平総理は私の政治の恩師である。大平総理と一緒に国会にいたのはわずか半年だったが、大平総理の秘蔵っ子といわれた加藤紘一衆議院議員を先輩とすることができた。私は加藤氏とともに自由主義政治とは何かを真剣に学ぶ多くの機会をもつことができた。
私は多くの先輩の庇護を受けて、自由主義政治家としての道を歩むことができた。私は自分の信ずることをやりながら生きてこれた。51歳の時に大臣にもなれた。幸せといえば、これほど恵まれた人生はなかったのかもしれない。私の親しい人々は、自民党と公明党の連立なんぞにこだわらなければいまでも幸せな政治生活を送れたのにという。そうかもしれない。しかし、私は己の信ずる道を歩みながら政治生活をやってこれた。そのためであろうか、自分の信ずることを放擲して政治の道を歩んだとしても、私はきっと満足することはできないと思っている。
私が危惧したとおり、公明党と連立を組んだ自民党は完全におかしくなってきている。完全な自由のない政党は、自由主義政党といえないのである。自由主義者にとって、創価学会や公明党と懇(ねんご)ろとなることなど所詮できることではないのである。政治家とは、政治信念や政治哲学を売りにする職業である。立法府の議員としてのバッチを付けなければ政治家と呼べない、などと私は考えていない。自分の与えられたところで、精一杯の政治活動を行うのが政治家だと思っている。私がおかしいのではなく、世の中がおかしいのだと私は思っている。世の中もそのことにきっと気付くときがくると私は信じている。
ひとりの自由主義政治家として、おかしな政治に警鐘を鳴らすことはその使命である。最近は、警鐘を乱打しなければならないようである。しかし、私は国民を信頼している。ひとたび自由を手にした国民が、唯々諾々とその自由を手放すことはないと信じている。だが権力というものは、強いものである。わが国の国民には権力と戦うよりもこれを上手く利用する方が得だという風潮がある。それは、わが国の自由主義政治家が権力を掌握したことが非常に少なかったからである。わが国の自由主義政治家は、もっと逞しくなければならない。前衛的指導者がいなければ、いくら自由を求める国民がいても自由主義政権は生まれない。私はこのWebサイトを通じてそのことを呼びかけている。今日ホームページのアクセスカウンターが137万を越える。これもなにかの啓示であろう。ご愛読に感謝する。63歳の誕生日にもこのことを続けていたいと願っている。
それでは、また明日。