『殺人犯を裁けますか?』
07年05月23日
No.434
昨日、霞ヶ関ビルの33階で、畏友・田中克人(たなか・かつんど)氏の出版記念会が開催された。田中氏が今回著した本の題名が『殺人犯を裁けますか?』(駒草出版社)である。副題は――裁判員制度の問題点――である。最近、田中氏と会ったとき話には聞いていたが、著書を手にするのは昨日が初めてである。したがって、まだその著書は読んでいない。しかし、多くの読者も裁判員制度について、近時耳にすることが結構あるのではないか。田中氏の著書を熟読した上で、裁判員制度については別に述べることとする。
田中氏との交友は、もう30年以上になる。1976年(昭和51年)の秋、私が最初に衆議院選挙に立候補するちょっと前に、田中氏と会った。彼は新自由クラブの関係者として同党から立候補する候補者を探していた。私の古い友人の紹介で、田中氏は新潟県上越市に私を訪ねてきた。それ以来の付合いである。私は中央の派閥とは一切無縁の中で闘っていた。私のスタッフの中には、新自由クラブが公認してくれるというのならば、何もないより同党の公認をもらって立候補する方がいいのではないかという意見が多かった。しかし、私は結果として新自由クラブの公認や推薦を受けることなく、無所属で立候補した。田中氏も新自由クラブの公認を受けることを強くは勧めなかった。
私の第1回の挑戦は、ダメであった。しかし、その後も私は田中氏にすべてのことを相談しながら事を進めてきた。加藤紘一氏と会うことができたのも、田中氏の引きあわせであった。加藤氏と知遇を得たことは、私の当選の上で大きなものだった。当選後も私は何かにつけて田中氏に相談してきた。社団法人・国民政治研究会の事務局長や専務理事という職にあった田中氏は、実に多くの人々を知っていた。私に必要な多くの人々をその都度つないでくれたのが田中氏であった。これは私についてだけではないであろう。多くの人々に私と同じようなことをされていたのだと思う。こういう人を世間ではコーディネーターと呼ぶのだろう。田中氏は私にとって“偉大なるコーディネーター”だった。
コーディネーターと呼ばれる人には、ふつう我が強い人はいない。むしろ我がまったくないタイプが多いのではないだろうか。私も田中氏をそう思ってきた。無茶苦茶なことを平気で行おうという私に対して、田中氏が「それはやめておきなさい」ということは滅多になかった。ほとんどの人が反対する時でも、田中氏は私のやることを支持するだけでなく、いつも私を助けてくれた。その田中氏が昨年7月、『心の駅伝』(駒草出版社)――安倍晋三君への手紙――という著書を出版した。これを読んで私は驚いた。私と同じようなことを私以上に過激に書いているのである。私は我が意を得たりという感慨を覚えた。その後、田中氏と何度も会ったが、「田中さんは私以上に過激なんですね。驚きました。何時からそうなったのですか?」と訊くと、「私はもともとそうなんですよ」とこともなげに答えるのである。
裁判員法は、国会で自民党から共産党まで賛成して成立した。日本弁護士会も賛成した。2009年(平成21年)5月から施行されることになっている。それに対して、田中氏はその施行を停止せよと敢然と反対を表明しているのである。温厚な田中氏がそういっているのであるから、相当に問題があるのだろう。確かに裁判員制度を早急に行えなどという主張は聞いたことがない。できるだけ早く『殺人犯を裁けますか?』を読むつもりである。司法に関することであるから、本来ならばこれは私が問題を提起すべきテーマであるのだが、私は裁判員制度にまったく関心すらなかった。田中氏に触発されて遅ればせながら、勉強することにする。心ある方に、田中氏の両著の購読をお願いする次第である。
それでは、また明日。