自由か平等か
07年04月24日
No.405
日曜日に投開票された統一地方選挙の結果は、やはりいろいろと考えさせられたり確かなことをハッキリと示すものがかなりあった。まず長崎市長選であるが、正直にいって驚いた。ああいう状況における選挙では、弔い選挙は圧倒的に強いというのがこれまでの常識であった。しかし、長崎市民の選択は冷静であり沈着としたものであった。正直いって長崎市民の政治に対する考え方の質の高さに感心させられた。
私が自治大臣(平成8~9年)の時に、故伊藤一長氏はすでに長崎市市長であったので全国市長会などではお会いしていたのであろうが、個別の面識を得る機会はなかった。もちろん毎年行われる原爆慰霊祭はニュースなどで見ているので、顔と名前だけは知っていた。いずれにしても選挙中の市長候補などが銃殺されるというのは、私の記憶では初めてであるので衝撃的な出来事だった。忌まわしいテロである。補充立候補で長崎市の統計課長を務めていた田上氏が急遽立候補した訳であるが、娘婿の新聞記者(政治部担当のようである)をおさえて当選した。これは選挙の常識を破る“事件”であった。このような市職員をちゃんと育てていた故伊藤一長長崎市長の市政運営に敬意を表すべきと私は感じている。
高知県東洋町の町長選挙は、高レベル核廃棄物の貯蔵施設をめぐる選挙だった。反対派が圧勝した。いくら金を積んでもダメなものはダメということであろう。私は新潟県の巻町における原子力発電所建設の是非をめぐる住民運動を知っているが、原子力に対する国民の反対はどこでも当局や電力会社が考えているよりはるかに強いということである。今後新しい原子力発電所を作ることはきわめて難しいであろう。それにしては、既設の原子力発電所で次々とおこる事故や不祥事はいったい何なのであろうか。関係者に緊張感がないのである。こんなことを続けていると既設の原子力発電所がある地域で撤廃運動が起こるかもしれない。
財政破綻した夕張市では7人の候補者が乱立した。私はこんなに多くが立候補すると誰も当選に必要な得票(有効投票の4分の1以上)をすることができずに、再選挙になるのではないかと心配していた。再選挙は決選投票ではない。再選挙でも必要な得票がないと確か当選者は決まらないとなっていたと思う。そうなったら再選挙の費用もかかるし、市政が混乱することは明らかである。夕張市民は一発でちゃんとした答を出した。夕張市にそんな余裕と時間はないことを知っていたのである。私の心配は杞憂であった。それにしても羽柴秀吉氏が接近した2位であったことは驚いた。羽柴氏は、“選挙の業界”では有名人だからである。今回は初めて供託金の没収を免れたとのことである。
ところでフランス大統領選挙の方は、決選投票が行われることになった。新自由主義を唱えるサルジコ候補と伝統的な社会民主主義を唱えるロワイヤル候補との決選投票である。まずこの選挙の投票率の高いのに驚いた。なんと84.60%である。わが国では都市化された地域(比較的豊かな所である)では、投票率が低いというのがいまや一般的である。フランスは豊かな国である。そのフランスでこのように投票率が高かったことは、こういう地域の人々にぜひ考えてもらいたい。物質的に豊かな人は、政治的な意識や感性も豊かでなければならないということである。それにしても政治先進国であるフランスで、自由か平等かという古典的なテーマで決選投票が行われることになった。このことについては、別の機会に述べることにする。
それでは、また明日。