食傷気味の小池劇場
16年10月22日
No.1872
新潟県知事選挙における米山隆一氏の勝利は、各方面に大きな影響を与えたようだ。新聞やネットでも、いろいろな報道があった。確かに、新潟県知事の結果は大きな意義を持っていると私も思っているが、あまり大袈裟に喧伝するつもりはない。いろいろな人が指摘するようなことを踏まえていたからこそ、私は、新潟県県知事選挙は戦うべきだと思っていたし、これを支援してきたのである。そうでなければ、そもそも戦おうということにはならない。戦いとは、そういうものである。
いつ解散・総選挙があるか、私は、確たることは言えないが、全国のすべての小選挙区で、どのような選挙を戦うか、すべての関係者が本気で考え、その準備をして欲しい。自公陣営とその同類者は、候補者がもう決まっている。果たして、これと対峙しようという陣営に、適切な候補者はいるのだろうか。ゼロというつもりはないが、“勝てそうな候補者”がいる小選挙区は、半分くらいしかないのではないか。
選挙は、候補者がいなければ勝負にならない。もうひとつの要素である“争うべき争点”は、山ほどある。自公陣営は、一強多弱とタカを括っている。しかし、安倍内閣の支持率など当てにならないものである。多くの国民は、安倍政治の“まやかし”を肌感覚で知っているのだ。狙いは、そこにある。“安倍政治を許さない”という陣営は、「どこが安倍政治と違うのか」を明確に示せば、立派な争点となる。その争点は、各選挙区や各候補者独自のものであっても良いだろう。
ところで、私はもう小池劇場に食傷気味である。ボート開催場所問題が、これでもかこれでもかと連日報道されている。しかし、一体それがどうしたというのか。大した問題ではない。ボート問題が出てから、豊洲新市場問題がテレビ報道から見事に消えてしまった。どちらも小池知事は、落とし処を決めているのではないか。どちらも、東京大改革とは言えないものとなるであろう。いま最も深刻な保育所待機児童問題は、どうなっているのだろうか。
私だけでなく、きっと多くの人が、小池劇場に食傷気味だと思う。それにもかかわらず、小池劇場や東京問題をテレビが執拗に報道するのには、別の理由がある。国政の重要問題から、国民の目を逸らすことである。いま国会では、TPPや年金問題が審議されている。どちらも、国民にとって大きな影響がある大問題だ。山本有二農水相の強行採決発言など、昔なら即辞任である。野党も、怒るときは本気で怒らなければならない。そういうメリハリが、どうも無くなってきている。
小池劇場から離れ、国会に目を向けさせなければならない。ワイドショーもどきの情報番組でも、国会で争われている問題を取り上げる能力がない訳ではないだろう。能力がないのではなく、わざと取り上げないのだ。明らかに、意図的なのだ。だから、私は食傷気味なのだ。小池東京都知事が自公陣営と決別しない限り、東京大改革など所詮無理なのだ。そんなことに無頓着な政治家もどきやコメンテーターが番組に登場し、いろいろなことを
最後に。鳥取県倉吉市などで、震度6弱の地震が発生した。死者や倒壊家屋などの被害は少ないようだが、映像を見た限り、けっこう大変なようだ。余震は、今も続いている。大きな被害が起きないように、心から念じている。私の高校時代の同窓会が、今年は、修学旅行で行った京都で行われる。地震の被害が京都で生じていたら、中止になると懸念していたが、大丈夫のようだ。これから、私は京都に出かける。
それでは、また。