この静けさは何なのだ。
14年12月06日
No.1716
総選挙の投票日を1週間後に控えているのに、この静けさはいったい何なのだ。他でもない、テレビを中心とするマスコミのことである。このところ私が問題とした、“自民党300議席超え”という報道が、あまりにも実態と異なっていて国民の反発を招きかねないので、官邸筋から“選挙のことを極力話題しないように”との指示が出たのはないかと、
兎に角、この静けさは異常である。各選挙区では熾烈な闘いが繰り広げられているのだが、マスコミの方はあの“自民党300議席超え”のオドロオドロしい報道以後いやに静かである。公職選挙法上の制約があるにしろ、総選挙が現に行われているのだから、もっと報道しなければならない。私は、外国の選挙報道をあまり見たことはないが、公職選挙法上の制約を理由に国民が望む選挙報道ができないのは、マスコミの力量がないからだろう。
政見放送の放映なども、もっと考えて貰いたい。力量の不足したマスコミが政治番組を作るよりも、週末などは、政見放送オンパレードだって良いと私は思っている。たぶん明日、日曜定番の政治番組では“選挙モノ”をやるのだろう。各党から党首か幹事長クラスが出てきて討論会をするのだろうが、あれはもうダメと、私は思っている。
9党が同じ場で討論してみても、所詮は、“朝まで生テレビ”のようになってしまう。それに、9党というもの多過ぎる。自公“合体”体制に早晩呑み込まれるような党を野党として扱うのも、問題だ。選挙と言う、政治の中でもいちばんシリアスなものを扱うには、文化力が必要なのだ。マスコミの文化力の不足が、一強多弱状況を作ってしまったことを、わが国のマスコミは反省しなければならない。
兎にも角にも、私たちは安倍・自公“合体”体制を、何としても打ち砕かなければならないのである。安倍・自公“合体”体制は、もう“立派な”ファッショ体制である。ファッショ体制にとって一番怖いのは、自由な強い個人である。だから、いま必要なのは、自由で
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。