国民的な政治の塊
14年01月21日
No.1636
名護市長選の結果を受けた政府・自民党の対応が、どうもおかしい。よほどショックだったのだろう。「現実に飛行場が作られる名護市民の声など、関係ない」と言わんばかりの対応だ。法律的にはそれでいけるかもしれないが、「名護市の意見など関係ない」という態度は、問題だ。昨日の政府・自民党の対応を見ていると、私には、全体主義国(たとえば中国)の政治対応と二重写しに見えてならない。せめて1週間くらいは、「名護市長選の結果を重く受け止める」というように、殊勝な姿勢が示せないのか。それが、余裕というものだ。
法律よりも重たいのは、政治である。政治的に受け入れられなければ、せっかく新しく建設された飛行場も基地も、実際には上手く機能しない。そんな基地を作って、日米同盟は本当に機能するのか。彼らの大人げない対応には、ひとつの理由があると私は思っている。仮に“原発即ゼロ”を掲げる都知事候補が当選しても、「原発再稼働は行うぞ」と言いたいからなのだろう。そんなことができると思っているなら、実に愚かな政治家たちだ。
中国の権力などは、革命が起こらない限り、現状は変わらないだろう。しかし、自公“合体”政権など、次の選挙でどうなるか分かったものではない。そうならないためには、権力の行使は、慎重が上にも慎重に行わなければならない。特定秘密保護法のやり方など、そう度々できるものではない。それとも、次の国政選挙があるまでの約2年半の間に、安倍首相は、己がやりたいことを全部やり遂げてしまおうとでも思っているのだろうか。そんな絶対的で独裁的な権力など、1回の選挙でできる筈がない。
今回の都知事選で、これまでいろいろな立場にあった人々が、細川氏支援のために集結しつつあるのは、心得違いをしている安倍首相とそのお仲間に“No”を突き付けたいからである。民主党の自爆行為により、「国民を大きなところで結集する、政治的な塊」が破壊された。しかし、そのような政治的な塊は、どうしても必要である。step by stepであろうが、何としてもやり遂げなければならない ─ 私は、そう思っているのだ。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。