何のために知るのか?
13年11月26日
No.1622
平成25年11月26日、特定秘密保護法案が衆議院で可決された。この法案の危険性・問題点は、これまでいろいろな視点から述べてきた。私のもっとも大きな反対理由は、自由主義政治の大原則から見て、このような法律は絶対に許されないということに尽きる。自由主義政治の考え方は、深遠でなかなか理解してもらえないところがある。自由主義政治を理解できない者にとって、自由主義者は“不逞の輩”に見えるのであろう。しかし、自由主義者こそ、しなやかだが強靭な秩序を希求しているのである。
特定秘密保護法案に対する危惧の念・反対の声は、日増しに高まっている。政府・与党等が多数でこの法案を衆議院を通したからといって、この傾向は治まることはないであろう。そういう意味で、参議院での闘いは極めて重要だ。国民は、これからも反対の声を挙げていかなければならない。法案は、衆議院と参議院で可決されてはじめて法律になるのだ。長い間、“ねじれ、ねじれ”と言われてきたが、ねじれ国会でなくなったために、何でも一気呵成に進んでいく。“ねじれ”も時には必要だと多くの人が思い始めたのではないか(笑)。
特定秘密保護法案に対する反対でいちばん多いのは、「“知る権利”が侵される」というものである。それはそれで良いのだが、「いったい何のために知りたいのか」ということだ。それは決して国民の暴露趣味からではない。「国家権力がやっていること、やろうとしていることが正しいのか正しくないのか」を判断するために、まず、国家権力がやっていることを知らなければ判断できないからである。
「国家が、その任務を遂行するために、秘密にしなければならないことがある」ことを、私は否定しない。国家公安委員会委員長を務めた私は、その必要性があるのを、十分に理解している。また私は、特定秘密保護法案が“特定秘密”と規定する秘密に、多数関与してきた。しかし、その秘密を漏らしたりはしていないし、関係者で、その秘密を漏らした者もいなかった。秘密を秘密にしておくことができない者には、秘密に関与させなかったからである。わが国の国家公務員は、資質が高く責任感も強いのだ。この点は信頼して良いし、信頼してやらなければ、優秀な公務員は育たない。
しかし、「国家がその任務を遂行するために秘密すること」が許されたとしても、「国民が、国家が秘密としていることを知ろうとすること」を禁じる理由にはならない。ましてや、その秘密を知ろうとする行為を罰するなど、もっての外だ。国家が任務の遂行する上で秘密をもつのは自由だが、国民がその秘密を知ろうとするのもまた、自由にしなければならない。外交・防衛・治安維持のために、国家は多大な税金を使っているからだ。その是非は、国民の批判に晒されなければならない。そのための“知る権利”なのである。
自民党・みんなの党・日本維新の会などは、自由主義を標榜している政党と思われているが、自由主義など少しも解っていない政党だと、今回のことで明らかになった。公明党は、最初から自由主義政党などでない。自由民主党が現在のような自民党になった最大の原因は、公明党と連立を組んだからである。それ故に、私は自民党が公明党と連立を組むのに反対し、そして離党することになったのだ。その判断は間違っていかなかった。
多くの国民は、わが国が自由な国であって欲しいと思っている。しかし、「わが国を自由な国にするのは、政治的に極めて
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。